Fate / in the world
026 「崩壊の序曲」 中編
重々しい音と共に重厚な造りの扉を押し開け、教会へと踏み入る。
空港から連絡を入れていたためか、ディーロ神父様は祭壇の前でわたし達を待っていた。
主が別の人物へと変わったというのに相変わらずここの空気はわたしの肌に合わない。
そう思いながら祭壇への通路進んでいく。
「ご無沙汰しております、神父様。ただいま戻りました」
「凛さん、お待ちしておりました。アルトリアさんもお変わり無いようで一安心です」
「お久しぶりです、ファーザー・ディーロ」
とりあえず帰国の挨拶を済ませたわたし達に神父様が問いかけてくる。
「ところで、後ろいらっしゃる女性はどなたですかな、凛さん?」
そう言いながらわたしの後ろに立つミス・マクレミッツへと視線を送る。
「これは失礼、私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。今回、冬木の事件に対する執行官として派遣されました、魔術協会所属の魔術師です」
と、自己紹介をするミス・マクレミッツ。
聖堂教会の神父様、それも元代行者に対して真正面から魔術師を名乗る辺り、この人もドンパチ系なのね。
「……魔術協会の……」
さすがにディーロ神父様の表情が険しくなる。
う〜ん、この状況はマズイわね。
「神父様、冬木のセカンド・オーナーとしての意見なのですが……今は聖堂教会や魔術協会といった垣根を超え、協力しあって事の解決に当たりたいと考えます。信用出来るかどうかではなく、利害関係から見れば両者の目指すものはそうかけ離れていない筈ですわ。そこで、如何でしょう神父様? まずは情報の共有を図ってみては?」
もちろんわたしだって彼女を信用などしていないのだけれど。
管理者としてのわたしの意見に黙考した神父様は、
「……そうですな、今は小さな事を気にしている時では無いのかもしれませんな」
と言って応じてくれた。
「ありがとうございます、神父様。それでは早速」
一刻も早く詳しい情報をと思ったわたしの言葉を遮るように神父様が言葉を被せてきた。
「いや、凛さん、出来れば早急に場所を移動したほうが良いでしょう」
え? どうしてかしら?
「そうだな、この時間に大橋越えた場所に居るのは危険だ。私も神父の意見に賛成する」
と、ミス・マクレミッツも神妙な表情で賛同する。
「凛、恐らく彼らの意見は正しい。あの大橋を越えてから、どうにも嫌な予感がしてなりません」
そう……アルトリアまでそう感じるっていうのなら、ここは従うべきね。
「わかりました神父様、どこか適当な場所はございませんか?」
「それなら、凛さんの帰国に合わせて新都側のホテルに部屋を取っておきましたので、滞在期間中はそこをお使いください」
急いだほうが良いという神父様とミス・マクレミッツの意見に従い、わたしとアルトリアもすぐに新都のホテルへと移動した。
執行官と元代行者がこれほどまでの警戒を見せる事態……一体何が起こっているというのかしら。
Fate / in the world
【崩壊の序曲 中編】 -- 紅い魔女の物語 --
教会から歩くこと十数分、新都に新しく建設されたというこのホテルに、神父様はわたしとアルトリアの為の部屋を用意してくれていた。
開業してからまだ間もないらしく、館内の施設はどれも真新しく、部屋も清潔感に溢れている。
取り急ぎ荷物を整理したわたしとアルトリアは、神父様たちとの待ち合わせ場所である、ホテル内の会議室へと向かった。
わたしの部屋で情報交換しても良かったのだけれど……まあ、神父様が"夜更けにご婦人の部屋へ立ち入る事は出来ません"と頑なに拒否されたので仕方がない。
ノックを一つしてから会議室のドアを開け、部屋の中へと立ち入る。
それ程大きもない部屋に整然と並べられた机と椅子の群れ。
神父様はその一つに腰掛けながら瞑想している。
ミス・マクレミッツは腕を組みながら、壁にもたれかけ黙考しているようだ。
少し待たせてしまったみたいね。
「申し訳ございません、遅くなってしまいました」
と、声をかけると、神父様とミス・マクレミッツの視線がこちらへと飛んでくる。
「いや、お気になさらずに。長旅の直後です。凛さんもお疲れでしょう」
「大丈夫ですわ、神父様。それよりも、まずは事の顛末と詳しい状況をお聞かせ頂きたいのです」
そう言いながら、ミス・マクレミッツと神父様の中間に位置する席へと腰掛けた。
アルトリアもわたしにならい、すぐ横の席へと腰掛ける。
一瞬の静寂の後に、神父様が重々しくその口を開いた。
「それでは私から報告させていただきましょう……私がこの冬木で起こり始めた異変に気がついたのは、およそ五日ほど前のことです。その日私は夕刻より深山町のあるお宅へとと諸用でお邪魔しておりました。話しが長引き帰りが深夜になってしまった私が教会への帰路を急いでおりましたところ、ほんの一瞬のことでしたが恐ろしいまでの魔の気配を感じたのです。いえ……それは魔の気配などという言葉では物足りないでしょう。妄執、怨念、憎悪といったあらゆる負のエネルギーの塊のようなものでした。急ぎ私はそれを感じた方角へと走り、一軒一軒のお宅を確認して回りました。ですが……なにも見つからなかったのです」
そこまで話すと神父様は真青な顔色のまま俯いてしまった。
「は? あ、あの神父様? 失礼ですが、その……お話しが見えないのですけど……」
何も無かったのなら、異変の兆しにも成らないじゃない?
怪訝な表情で問いかけたわたしに、ミス・マクレミッツが答えた。
「……恐らく神父の仰る真の意味は、本来居なくてはならない筈のそこで生活していた人々の姿そのものが見つからなかった、という事では?」
「なっ?!」
「えっ?!」
その言葉に思わずわたしとアルトリアが声を上げた。
「……ミス・マクレミッツ……貴女は既にご存知なのですね……凛さん、彼女の仰る通りです。それも十人や二十人という規模ではない。その夜消えてしまったのは、一ブロック全ての家の住人です……そして、その日を境に深山町では不可解な大量行方不明事件が毎晩発生しました。調査に乗り出した警察関係者たちも、夜間に深山町へと足を踏み入れたものは誰一人戻ってきませんでした。その結果、今深山の町には私の知る限り、たった一人の生存者しか居ません」
「ご、ごめんなさい……少しだけ、頭を整理する時間を下さい、神父様……」
それだけを言うのが精一杯だった……
深山の町に住む全ての人が消されてしまった?
もしそれが魔術師の手によるものなら、それはもう神秘の漏洩なんて規模じゃなく……
そして、神父様は今"たった一人の生存者"と言わなかっただろうか? まさか、そんな……桜……
「ッ?! 凛!! しっかりして下さい、凛!!」
切羽詰ったようなアルトリアの声を聞きながら、わたしの意識は急速に闇の中へと落ちていった。
「う……ん……あ、れ?」
ぼやけた意識のまま瞼を開けると……アルトリアの顔が逆さまに飛び込んできた……しかも、視界いっぱいのどアップで。
「気がついたのですね、凛」
ほっと息をこぼしながら訪ねてくるアルトリア。
あれ? わたし……なんでアルトリアに膝枕なんてされてるのかしら?
「ねえ、アルトリア?」
「はい、なんでしょう、凛?」
「悪いんだけど……わたしそっちの気は無いのよ」
うん、こういう事ははっきりと言っとかなきゃいけない。
「ほぅ……いきなり気絶した貴女をずっと膝枕で看病していた人物への礼儀がソレですか?」
あっ?! やばっ!!
そうだった、わたし神父様のお話を聞いていてそれで……
クッ! 魔術師としてあるまじき失態だわ!
とにかく、起きなきゃ!
――ガバッ、ゴチン!
「ツゥッ……」
「きゅぅ……」
いっっったぁぁぁぁ――いっ!
アルトリア、あんたってどんな石頭してるのよ!
まあ、それはともかく……
「え〜っと、色々とごめんね、アルトリア……あの、わたしどれくらい気絶してたのかしら?」
ぶつけたおでこをさすりながら、とりあえずお詫びと時間の経過を訊ねてみる。
「……言いたい事は色々とあるのですが、まあ良しとしておきましょう……およそ三十分ほどです。凛が目覚めたらファーザーに連絡を入れるようにと伝言を受けています」
涙目で同じようにおでこをさすりながら、アルトリアが教えてくれた。
まいったわね……神父様はともかく、ミス・マクレミッツにまであんな失態を見られたなんて……
ともかく、急いで神父様に連絡を入れなきゃいけないわね。
携帯を取り出し、神父様へと電話を入れ謝罪と打ち合わせの続行をお願いする。
こちらの体調を心配した神父様は、最初打ち合わせを渋っていたのだけれど、わたしが食い下がりなんとか了承してもらった。
都合の良いことに、神父様もミス・マクレミッツもまだ会議室に居るということらしい。
「心配かけてごめん、アルトリア。それじゃ行きましょう」
「凛……本当に体調は大丈夫なのですか? 今無理をする事がどれほど愚かな事か、貴女なら良く理解している筈ですが?」
真剣な表情で諫言を申し立てるアルトリアに、
「大丈夫だってば……さっきのは体調っていうよりも、精神的なものだったから……」
と、無理やり笑顔を作って返す。
「……そうですか。貴女がそう言うのなら、私は従うまでです」
そう言って、部屋を出ていこうとする。
まあ、アルトリアの言うこともわかるけどね。
今やらなきゃいけない事が山積みだって事も事実だし。
それに……気づいてないのね、アルトリア? あなただって倫敦を発ってからこっち、もの凄くピリピリしてるわよ?
やっぱり、わたし達には士郎の存在が大きいのよね……良きにつけ悪しきにつけ……
「とりあえず、五日前より起こりだした深山での集団行方不明事件については理解しました。それ以外で神父さまがお気付きなった事はございませんか?」
わたし達は会議室へと戻り、神父様とミス・マクレミッツへ謝罪をした後、打ち合わせを再開した。
「そうですな……今のところ、ソレは必ず夜間に起こるという事、それと、深山町だけで起こっているという事でしょうか……」
「なるほど……それから、神父様。先程仰られていた"たった一人の生存者"とは誰のことでしょうか?」
毅然とした態度と、魔術師としての思考を持って神父様に質問する。
「……今日、日中の事なのですが……誰か生存者がいないかと、教会を出て深山の町を探していたのです。そして日も暮れかかった夕刻、間桐邸の窓際からこちらを伺う桜さんを発見しました。急いでインターホンを鳴らしたのですが返答はなく、電話をかけてもお出になりませんでした……」
やっぱり……桜だったのね……
諦観にも似た感情を覚えながら、溜息を一つつく。
「そうですか……神父様、もう一つお伺いしたい事がございます。教会は第六次聖杯戦争の発動を確認していませんか?」
「「「……」」」
わたしの問いかけに部屋の中が静寂に包まれる。
「いいえ……現在、教会としてはこの冬木の聖杯戦争が発動した兆候を確認してはおりません」
「それは……間違いございませんか?」
更に念を押した私の言葉に、横合いから声が掛かった。
「ミス・トオサカ、それについては神父の言葉に間違いは無いと思われる。私がこの地へと着任したのは昨日の午前中のことだが……この地の最大の特異点である聖杯戦争の起動確認は、最優先事項として我々も行ったのだ。それに……もしも冬木の第六次聖杯戦争が起動していたのなら、御三家であるミス・トオサカには優先的に令呪の兆候が現れるはずだと思うが?」
確かにその通りかもしれないわね……
つまり神父様の見解と、ミス・マクレミッツの意見や調査結果からも第六次発動は否定された事になる。
「そうですわね……ミス・マクレミッツの考察にはわたしも賛同します。ところで……昨日着任されたということですが、他にご提供頂けるような情報はございませんか?」
あくまで、任意による情報交換なのだ。
拒否されれば、そこまでなのだけれど……
「昨日の深夜、我々の小隊は協会が下した執行命令を完遂すべく間桐邸へと乗り込んだ……いや、乗り込もうとしたと言った方が正しいか。間桐邸の周囲を包囲した後、フォーメーションを組んで突撃した我々の部隊は……間桐邸の入り口に辿り着くことさえ出来ずに、突如足元に広がった闇へ飲み込まれたのだ。まさに……一瞬の事でな。対処することもできずに撤退したのは、私を含めたった五名だよ。十五名の戦闘に特化した魔術師が一瞬で消されてしまったのだ」
「「「……」」」
声が出ない……
戦闘に特化した魔術師を一度に十五人もですって。
桜、あなたに一体何が起こったのよ……
「恐らく強力な虚数属性の魔術だと思われるが……神父の言われるように、それだけでも無いような気がするのだ。撤退時、殿を務めた私が逃げ果せた最大の要因は、部隊の一人がミスで放った浄化のルーンが効果を発揮したことだ……これをどう考える? ミス・トオサカ? 虚数属性の魔術に浄化のルーンが効力を発揮するものだろうか?」
「……普通、あり得ないわね。間桐の属性は吸収よ。桜自身は確か虚数属性だったはずだから、その闇の特性は吸収と虚数で一致するけれど。浄化のルーンじゃ効果は期待できないわ……」
「やはりそうか……という事は、あの闇は単なる虚数空間というわけでは無い可能性が高いな。しかも吸収属性とは……質が悪いにも程がある……」
ええ、闇に取り込まれた人たちはもう……
「
わたしの横で今まで話しを聞いていたアルトリアが口を開いた。
でも、これはアルトリアにとっても重要なことに違いない。
存在すると判っている驚異の詳しい情報は、知っているかそうでないかで、生死を分けることすらあるのだから。
「残念ながら、これといって提供できるほどの物はないな。しいて言えば……その発動は突然、我々の足元で起こったということぐらいか」
「なるほど」
それはそれで厄介ね。
しかも彼女たちはカミンスキーの存在には気付いていないみたいだし。
もし、ミス・マクレミッツ達と共闘するのならば……
「ねえミス・マクレミッツ、現存するあなた達の戦力を聞かせていただけないかしら?」
「……その前に、一つ確認しておきたい事がある。ミス・トオサカ、貴女の立場だ。貴女はどのような立場で、この事件に関与されるつもりなのか聞かせていただきたい」
それは当然の質問で、わたしが一番聞かれたくない質問でもあった。
「そうね、あなたとしては聞いておくべき質問でしょうね……協会が執行対象としたのは、サクラ・マキリ。そして今神父様やあなたから得た情報を照らし合わせても、この冬木で起こっている事件にサクラ・マキリが関与していることはほぼ間違いないわね。わたしは……リン・トオサカは冬木のセカンド・オーナーです。この地に道を外した魔術師が居るというのなら、それを処分するのは管理者たるわたしの責務よ」
「凛っ!!」
わたしの宣言が終わると同時にアルトリアが激昂して立ち上がる。
「アルトリア! 今は黙っていてっ!」
それを間髪入れずに押しとどめた。
張り詰めた空気が室内を支配する中、
「ミス・マクレミッツ、神父様、あくまでわたしは冬木のセカンド・オーナーとして動きます。そして、現在わたしが最優先で望むことは、この事件の早急な解決に他なりません。その点において、お二方と共闘可能と考えます。ですが……最終的に誰が、いえ……ナニが元凶かという判断は、今しばらく猶予を頂きたいのです。この地の管理者として、わたしがそれを見極めるまでの猶予を」
そう言って、わたしは二人に頭を下げた。
「凛さん、頭を上げてください。私は最初から貴女に一任するつもりです。そして……どうしようもなくなった時、ご相談下さい……」
「ミス・トオサカ、正直なところ我々の部隊は現存戦力だけで任務の遂行は困難な状況にある。この間に、貴女がどう動こうと我々に関与する余裕はない。ただし、次の増援は甘いモノではないと覚悟しておいて頂きたい」
つまり……僅かの時間ではあるが、わたしは猶予を与えられたことになる。
「ありがとうございます、神父様、ミス・マクレミッツ。桜の姉としてお礼を申し上げます」
「凛、貴女という人は……」
思わず零れてしまったわたしの涙をみたアルトリアが、そっと肩を抱きしめてくれた。
「凛さん、今日はもうお休みになったほうが良い。動くにしても明日の日中にしたほうが賢明でしょう。私は教会に残ります。何かあれば連絡を下さい」
「私も部下を残して来ている。これで失礼する」
そう言って二人は部屋を立ち去っていった。
わたしは……抑えることの出来なくなった涙を流しながら、アルトリアに縋って号泣した……
「お゛は゛よ゛〜」
「おはようございます、凛。目が死んだ魚のようですよ?」
「う゛〜、頭とお腹痛い〜」
おかしいなぁ、昨夜はぐっすり眠れたはずなのにあんまり体調が戻ってないわね〜……
まあ、朝はいっつもこんなもんかしらね……
「しっかりして下さい、凛……今日は、予定が詰まっているのですから」
「は゛い゛……」
そっか、今日は朝からルヴィアと連絡を取って、深山の町を見廻って、それから……
間桐の家へと行くんだったわね……
「アルトリア、ルームサービスで適当にモーニング頼んでおいて。わたし身支度してくるから」
「はい、わかりました」
そうね、ボケてる場合じゃないわ。
私にはそれ程時間が残されていないんだから……
気持ちと頭を切り替えシャワーを浴びながら、昨夜の打ち合わせ内容の要点をまとめ上げる。
六日前から始まったという大量行方不明事件は、夜間の深山町だけで起こっているということ。
昨日の時点で深山の住人は、桜を除いて全て消えてしまったということ。
一作日着任したミス・マクレミッツは、間桐邸襲撃時に虚数属性と思われる闇に部隊の大半を飲み込まれたということ。
その闇には浄化のルーンが効果を示したということ。
これらの状況が示すものは、虚数と吸収の属性を持つ桜がその災厄を起こしていると言うことだ。
けれど、わたしは自分自身の目で何かを見たわけじゃない。
まずは、自分の足を使って判断材料を集めることね。
気を取りなおしてリビングへと戻ってみると……
「……ねえ、アルトリア……コレ何かしら?」
「は? モーニングを注文しろと言ったのは凛ですよ?」
いや、確かに言ったわよ……言ったけどね……
「なんでモーニングがフルコースディナーと同じボリュームなのよ……」
「凛、先程も言いましたが、今日は予定が詰まっている。こういう場合、体力がモノを言うのです。それにはしっかりとした朝食が何より大切です」
もう良いわ……好きにしなさい……
見ているだけで胸焼けを起こしそうな朝食の大半をアルトリアに譲り、わたしは紅茶を飲みながらルヴィアに連絡をいれた。
――プルルルルル、プルルルルル、ガチャ
「あ、もしもしルヴィア?」
『こちらはエーデルフェルト現当主ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの携帯電話ですわ。このわたくしに用があるなどと仰る方が居るというのでしたら、発信音の後にその用向きを仰ってもよろしくてよ。当然の事ですが、名を名乗らないなどという無礼は許しませんわ!』
――ピー
「……連絡ちょうだい、じゃあ……」
――プツッ、ツーツーツーツー
はぁ、朝からどうしてこんなに疲れるのかしら……
あ、いやいや。
そんな事よりも、何やってんのよ、ルヴィアのやつ……
もし士郎の意識が回復しても、こっちに来させないように頼もうと思ってたのに。
「ルヴィアゼリッタに連絡がつかないのですか?」
心配気な顔で訊ねてくるアルトリア。
まったく……士郎のことになると、これだもんね。
「まあ、向こうは深夜だからね。あとでもう一回かけてみるわ。そんな顔しないで、朝ご飯食べちゃいなさい」
「はい……」
そりゃ、わたしだって士郎に会いたいわよ。
後遺症の事も心配だし……
でも、今回の件だけは士郎を関わらせちゃいけない気がする。
それは……カミンスキーの狙い通りになってしまう気がするから……
ねぇ桜……あなただって士郎の事が大好きなんでしょう?
だったら、お願いだから士郎を苦しめるような事、しないでよ……
朝食の後、わたしとアルトリアは深山の町を見てまわった。
何一つ動くもののない死の世界のような風景がわたし達の故郷なのだという実感を持つことが出来ないままに。
そして、一軒の立派な日本家屋の前へとやって来た。
開かれたままの門をくぐり、中へと入る。
冬木で過ごした最後の一年間、幾度となく足を運んだこのお屋敷も、今は誰も居ない……
「ライガ……」
アルトリアの呟きだけが、静かすぎる藤村邸に響いた。
その後、わたし達の母校である穂群原学園や柳洞寺へと足を伸ばしてみたけれど、どこにも人はおろか、動物の存在そのものが無かった。
最後に訪れたのは、衛宮邸……
住人が居なくなったというのに、そこは今でも気持ちの良い空気に満ちていた。
「此処だけは、昔とかわらないのですね……」
「そうね……」
わたしとアルトリアは衛宮邸の庭で喋ることもなく、少しの時間を過ごした。
そして……
「そろそろ、行こっか。桜のところへ」
「はい」
もうすぐ夕刻、空が赤らみだした時刻に、わたしとアルトリアは、間桐邸の門前へと辿り着いた……