Fate / in the world
026 「崩壊の序曲」 後編
お父様、あなたの娘は結構な親不孝者かもしれません。
遠坂の悲願だった聖杯を破壊しただけでなく、あなたの言い付けも破ろうとしているのですから……
でもお父様、わたしは後悔なんてしません。
夕焼けに赤く染まる空の下、太陽の光を遮るように建つ間桐の屋敷。
昔から意識して近寄らないようにしていたこの建物には、きっと今もあの娘が……
ぐっと顔を上げ、逆光の中の屋敷を睨みつける。
「桜っ!! 居るんでしょ! 出てきなさいっ!!」
大きな声で、妹の名を叫んだ。
直後、人の居なくなった街が静寂に戻る間もなく、
――ガラッ
と、屋敷の二階、門側に面した部屋の窓が開かれる。
そこには、俯き表情は見えないけれど、確かに桜の顔が……
「桜!」
再度わたしがその名を呼ぶと同時に、スッとその姿は部屋の奥へと消えてしまう。
そして……
「やれやれ、人の屋敷の前で騒がしい事よ。何処の痴れ者かと思うてみれば……カカカ、遠坂の小娘と剣の英霊ではないか」
屋敷の影からしわがれた嘲り声が聞こえてきた。
「誰だっ!」
アルトリアが警戒を高め、武装化と同時に影へと牽制の言葉を発する。
「これは異な事を問う。屋敷の門前にて大声で喚いておきながら、その住人に対して誰だとは……昨今の英霊は常識も持ち合わせておらぬと見えるのぉ」
「えっ?! うそ……」
皮肉を込められた言葉と共に、影から姿を表した老人は……
第五次聖杯戦争の最中、英雄王に殺されたはずの間桐臓硯だった。
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【崩壊の序曲 後編】 -- 紅い魔女の物語 --
「うむ、当代の遠坂は中々に優秀だと聞き及んでおったが……そのように呆けた面を晒しておっては、器が知れるというものよ」
皺だらけの顔、骨と皮だけの老いさらばえた体躯とは裏腹に、落ち窪んだ眼窩の奥には威圧感のある闇が光る。
想像だにしなかった人物の登場に一瞬思考を奪われてしまったけど……
「……そう、生きていたのね、間桐臓硯。いえ……マキリ・ゾウケン」
コイツが生きていたとなると、話は大きく変わってくるわ。
桜が無関係だとは到底思えないけれど、コイツに操られている可能性だって十分にある。
「はて? ワシは死んだ記憶など持ちあわせてはおらぬが、誰ぞに誤った情報でも吹き込まれおったか。まあそのような事よりも……一体何用じゃ、遠坂の小娘? まさか両家の間に結ばれた不可侵の約定を忘れたわけではあるまいに」
呵々と哂いながら嘯く臓硯を睨みつける。
「フン、そんな約定、道を外した魔術師に対して守る謂れなんて無いわよっ! このわたしの管理地でこれだけの事をしでかしたんですもの。それ相応の覚悟は出来ているんでしょうね!」
「ほう? 冬木の管理者たる遠坂の怒りを買うような事を、ワシが何ぞしでかしたとでも言うのか? おぬしは?」
「あくまでシラを切ろうっていうのね……なら、ここであなたを倒し、桜はわたしの手で処断するしかないわね」
わたしの言葉にピクリと反応し、屋敷の方へと振り向きながら臓硯が呟く。
「桜を処断するとな……あの不憫な孫をこれ以上苦しめると言うのか?」
「不憫ですって?」
臓硯の言葉に思わず問い返してしまう。
「おうよ、ワシが黄泉の眠りについている間に、バケモノ共に陵辱されその仔を孕まされてしもうた不憫な桜を、これ以上責めてやってくれるなと言うたのじゃ」
何を言っているの、コイツは?
桜がバケモノに陵辱された? その仔を身篭った?
臓硯の言葉に思考が追いつかない。
「どういう事よ……詳しい事情を話しなさい」
「凛! このような人外の言葉をまともに受けるのですかっ?!」
激昂と共に臓硯に斬りかかる勢いで、アルトリアが聖剣を構える。
「待って、アルトリア。今は情報が欲しいのよ……お願い……」
「クッ……」
わたしの嘆願に、口の端を噛みながらアルトリアが聖剣を下ろす。
その様を見ながら、臓硯が徐に話しだした。
「そうよな、昔馴染みの盟友の頼み、無碍には出来まいて……あれはおよそ一週ほど前の事よ、突然我が屋敷を強襲しおった魔術師は、配下の死徒共に桜を襲わせた。その結果、桜はそのバケモノの仔を孕まされたのじゃ。しかも貴奴が言葉巧みに桜の精神を暗黒面へと堕ちるように仕向けたせいで、桜の体に埋め込んでいた聖杯の欠片と大聖杯にラインが繋がってしもうた。今、桜が身篭っておるのは単なる死徒の仔ではない。あれは……大聖杯の中に潜む"悪"そのものを受胎しておる」
心が壊れそうになるのを必死で堪えながら、臓硯の話を聞く。
感情を捨て、魔術師としての思考を維持する事を最優先とする。
「あり得ないわ……桜の体に聖杯の欠片が埋め込まれていた? 大聖杯と繋がった? 嘘をつくならもう少しマシなものを用意するのね」
「やはり信じられぬか。まあ無理もない事よ……桜に聖杯の欠片を埋め込んだのはこのワシじゃ。マキリの聖杯とすべく、その実験体として第四次の破壊された聖杯の欠片を刻印蟲として埋め込んだのよ。もっとも、未完成品ゆえ、第五次では使用する事もなかったがのぉ。それにな……我らを襲ったあの魔術師には大きな後ろ盾がついておる。大聖杯のシステムに存在するバックドアを開き、見事に桜の中の聖杯と大聖杯を繋ぎおったわ」
そんな馬鹿な……
大聖杯のバックドアですって?
「それを信じろって言うの? 大聖杯のシステムを弄るなんて、その建設に携わった御三家でも無い限り、不可能な事よ!」
「信じるか否かは、おぬしの勝手じゃが……そも、現実から目を逸らしたところで何となる? 桜が大聖杯の中に潜む"悪"を受胎して後、毎夜この深山にはアレが出現するようなった。もしこのまま桜が身篭った仔を産み落としてしまえば……その厄災は深山に留まるものではあるまいて」
信じたくない……
桜が死徒の仔を身篭った、そして……ソレを依代に"
崩れそうになる膝を堪え、臓硯に詰問する。
「……誰よ? その魔術師は? ソイツの後ろにいるヤツはっ?!」
「うむ……可愛い孫にこのような業を背負わせおった奴ら故、ワシも憎い。殺しても飽きたらぬわ。じゃが……」
わたしの問いにそこまで答えた臓硯が、不意に視線を屋敷の影へと走らせた。
「凛!!」
と同時にわたしへと迫り来る魔力弾を、アルトリアが前に出て弾く。
――パシーン!!
「……じゃがのぉ……ワシに取っては黄泉の眠りから醒ましてくれた恩人故、色々と便宜を図ることもあるというものよ、カカカカカ」
耳障りな臓硯の嗤い声を無視しながら、屋敷の影へと視線を向ける。
「……久しいな、ミス・トオサカ、ミス・アルトリア。こうして会うのは上海以来か?」
現れたのは、銀髪・碧眼の魔術師……
「やっぱり来ていたのね……アンナ・カミンスキー!」
ポケットの中の宝石を握り締めながら、睨みつける。
「ふむ、貴女達と共に過ごした時間は大変有意義なものではあったのだが……そろそろ潮時でな。もっとも流石はミス・トオサカだ。その様子だと大方の事は推測していたようだな」
と、言いながらわたし達と臓硯の間に立ち、その拳を握る。
(アルトリア、わたしがカミンスキーを押さえるわ。その間にあなたは臓硯を仕留めて!)
(わかりました!)
念話でアルトリアに指示を出しながら、魔術刻印を励起状態へともっていく。
「そうね……信じたくはなかったけれど、あなたしかいないもの。……よくも……よくも、わたしの家族をっ!!」
――バンバンバンバンッ!!
言葉と同時に右手をカミンスキーに向け、ガンドを連射する。
それを拳に込めた魔力とともに、弾き返すカミンスキー。
それはいい……この程度で彼女を仕留められるとは思っていない。
わたしのガンドと同時に、臓硯へと切り込むアルトリアのために道を開くことが目的だ。
そして……
――ガキンッ!!
甲高い金属同士の衝突音が響き渡る。
「なっ?!」
思いがけない反撃に驚愕の声を漏らすアルトリア。
「えっ?」
わたしも突如現れたその姿に、一瞬目を奪われてしまった。
アルトリアの斬撃が臓硯を一刀両断にする刹那前、闇から染み出るように現れたのは……しろぅだった。
真白だった子犬の面影は微塵もなく、ライオン程もある体躯と鋭い牙、鋭利な爪は、過去にしろぅがメタモルフォーゼした時と同様。
だけど決定的な違いは……真白だったその体が、闇のように真黒な泥で覆われているということ……
「ガァァァァ――ッ!!」
狂気の咆哮をあげながら、一瞬呆けてしまったわたしめがけて泥を纏ったしろぅが襲いかかってくる。
しまった!!
完全に不意をつかれ間に合わないと思った時、ドンっと横合いから体を押された。
――ザンッ!
倒れながら斬撃音の方へと視線を向けると……
アルトリアの左手に噛み付いたしろぅの首を、苦渋の表情でアルトリアが切り飛ばしていた……
「アルトリア!!」
アルトリアの表情が一瞬で苦悶のものへと変化する。
切断されても噛み付いたままのしろぅの首は、見る間に泥の液体となり、アルトリアの左手に染みこんでいく。
「クッ! グア、アアアァァァァ――ッ!!」
まるで黒い染料が滲み込むようにその範囲を広げる泥に、苦痛の絶叫をあげたアルトリアが……
――ザンッ!
自身の聖剣で、左腕をその肩口から切り落とした……
「カカカ、流石は最優のサーヴァントよ。後一瞬腕をきり落とすが遅くば、その存在ごと闇に飲み込まれていたものを」
臓硯の嘲笑が響く中、左腕を失ったアルトリアはその場に倒れこんでしまった。
「アルトリアッ! しっかりして、アルトリア!!」
思わずアルトリアに駆け寄ると、既にその損傷を回復すべくエーテルの粒子が形を成そうとしている。
そしてその自己再生を支えるために、わたしからアルトリアへと物凄い勢いで魔力が流れていく。
「クッ……凛、申し訳、ありません……」
必死でわたしの前へと這うように進み出るアルトリア。
それを俊足で廻り込んだカミンスキーがわたしの背後へと立つ。
「決して、貴女達が嫌いというわけでは無かったのだがな……お別れだ、ミス・トオサカ」
無表情のまま、膨大な魔力が込められた拳を、その言葉と共にわたしへと振り下ろそうとするカミンスキー。
ごめんね、士郎!
心のなかで、そう叫んだとき……
――ダンダンダンダンッ!!
幾十もの魔力弾がカミンスキーめがけて降り注いだ。
「クッ!!」
その悉くを両の拳で弾きながら後退するカミンスキーとわたし達の間に現れたのは、協会の封印指定執行者ミス・マクレミッツだった。
「撤退するぞ! ミス・トオサカ!」
一言、そう発したと同時にルーンの刻まれた石をばらまく。
それは、火と浄化のルーンが刻まれていたのだろう、直後に炎の壁がわたし達の前に立ち上った。
急激な魔力の消耗のために上手く動けないわたしを、ミス・マクレミッツが抱え上げ、アルトリアを促して即座に撤退を開始した。
遠ざかる間桐邸を視界に捉えながら、わたしの意識は闇へと落ちていった。
「……う、ん……」
日の日差しで目が覚める。
あれ? わたし……
「凛、気がついたのですね」
不意にアルトリアの声が聞こえた。
「ッ?! アルトリアッ!! 大丈夫っ!!」
一気に覚醒した意識とともに、昨日の光景がフラッシュバックした。
「落ち着いてください、凛。私なら大丈夫です」
と、その左腕をわたしに見せながらニコリと微笑んだ。
良かった……存在限界を越えてしまうほどの致命傷じゃ無かったのね。
ほぅと胸をなでおろしながら、アルトリアへと向き直り、
「ごめんなさい、わたしの責任だわ」
と、謝罪をする。
そう、あの時わたしは戦闘中にも関わらず、我を忘れてしまった。
「マスターを護るのは当然の事です。気にしないでください、凛」
「……じゃあ、言い直すわ。助けてくれてありがとう、アルトリア」
「……はい」
と、答えてくれた。
改めて周りに目をやると、そこは神父様が用意してくださったホテルの部屋だった。
ベッドサイドの時計は16:00を表示している。
「うわぁ……わたし丸一日近く眠ってたのね……」
おかげで、少しは魔力も回復してるけど。
「はい、申し訳ありません、凛。私の腕を修復するために多大な負担を掛けてしまいました」
そう言って、アルトリアが謝罪してくる。
「それこそ、あなたが気にすることじゃないわよ。それより、左腕は大丈夫なの?」
「……とりあえず、傷と外側の修復は出来ましたが……まだ、思うようには動かせません」
と、俯いてしまう。
ごめんね、アルトリア……痛い思いさせちゃって……
「できるだけ回復に魔力使っていいから、変な遠慮しないでね。それと……昨日あれからどうなったのか、教えて頂戴」
たしか、ミス・マクレミッツが助けてくれたところで意識を失ってしまったはずよ。
「特に、これということは起きませんでした。撤退する私達を追っても来ませんでしたし……あの
これは、大きな借りを作っちゃったわね。
「そう……」
アルトリアに答えながら、ふと視界に入った携帯に着信が入っていることに気づいた。
あっ! ルヴィアからじゃない!!
慌てて、電話を掛けてみる。
――プルルルルル、プルルルルル、ガチャ
「あ、もしもしルヴィア?」
『……"もしもし"ではございませんっ!! 連絡をよこせと言っておきながら、丸一日お出にならないとは一体どういうつもりなのですかっ!!』
思わず、携帯を耳から遠ざける。
「あのねぇ、こっちは大変だったのよ。って、そんな事より士郎は? 士郎の容態はどうなの?」
『既に意識も回復して、事情を説明した直後にそちらへと向かわれましたわ……』
あちゃ、遅かった……
「止めて欲しかったのよぉ……」
『リンに言われるまでもありません、わたくしも必死でお止めしましたわ。でも……シェロですから……』
「ああ、よ〜く、判るわ。その時の状況が手に取るほどに……それで、何か障害とか後遺症の類はどう?」
『それが……その……』
ん? どうしたってのよ……
「何かあったの?」
『いえ……とにかく、非常に説明し難い状況だと言うことです。実際にご自分の目で確かめるしかございません、というのがわたくしの見解ですわ』
何よ、それ……
「ようするに、命に関わるような危険な状態じゃないのね?」
『はい、それは問題ありませんわ』
「判った、とにかく、助かったわ。ありがとね、ルヴィア」
『リンにお礼を言われる筋合いはございません。わたくしは、シェロの為に』
あ、これは長くなるわね。
そう思って無理矢理こちらの言葉を被せていく。
「ああ、そんな事より、あんた昨日はなんで電話に出なかったのよ?」
『……あの時は、シェロの為に新しく用意させた礼装の補修作業をしておりましたの。詳しいことはシェロに直接お聞きになって』
「判ったわ、それからね、ルヴィア。……やっぱり、カミンスキーだったわ……」
『そうでしたの……リン、わたくしはこのまま倫敦に残るつもりです。貴女達のバックアップと教会の情報を逃さず掴むつもりですわ』
「ありがとう……本当に助かるわ、ルヴィア」
『貴女らしくありませんわよ、リン。こちらの事はわたくしに任せて、貴女は貴女でやるべきことをなさい』
「うん……それじゃあ、また連絡するわね」
『リン……気をつけるのですよ……よろしいですわね』
「判った、それじゃ」
――プツッ、ツーツーツーツー
ありがと、ルヴィア。
「凛、シロウはどうなのですか?」
わたしが電話を切るのを待っていたのか、アルトリアが勢い込んで訊ねてくる。
「う〜ん、とりあえず意識は回復してこっちに向かっちゃったみたいなのよ。体調的には危険な状態じゃ無いみたいなんだけど……どうもハッキリしないのよねぇ、ルヴィアの奴」
「そうですか……でも、シロウに会えるのですね」
そう言って、微笑むアルトリアに私もつられるように微笑んだ。
と、その時、わたしの携帯に神父様から着信が入った。
「はい、遠坂です」
その内容は……
『凛さん、行方不明だった深山の住人が突如現れました。全員、真黒な泥に塗れた
――プツッ、ツーツーツーツー
そんな、にわかに信じられないような物だった。
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