Fate / in the world
004 「王の涙」 中編
「結構買ったよなぁ。後は……何だっけ? ちょっとメモ確認してくれないか? アルトリア」
うっ……いえ、メモを見なくても解かっているのですが……
「はい……そのですね、後は……私の、下着です……」
凛、謀りましたね……
「そうか、アルトリアの下着か……って、下着ぃぃ――っ!」
「シ、シロウ! そのような大声で言われると、その……恥ずかしいではないですか……」
「あ、ご、ごめん。……う〜ん、でもなぁ……やっぱ、俺もいかないとダメか?」
「申し訳ありません……その、私一人では勝手がわかりませんので……」
「う……そ、そうかぁ……」
私とシロウで出かけた買い物は、今危機に面している。
まあ、シロウと共に私の下着を買うことも恥ずかしいといえば恥ずかしいのですが、それ以上に切実な問題が差し迫っていた。
「それよりも、シロウ……一つよろしいですか?」
「おう、どうしたんだ?」
「……お腹が減りました、シロウ」
――くるるるるるるるぅ
「「あ……」」
Fate / in the world
【王の涙 中編】 -- 蒼き王の理想郷 --
時刻は午後二時をまわっている。
かなり遅めの昼食を、凛に教えてもらったイタリア料理店で取り、今は食後のエスプレッソを楽しんでいる。
「いや、美味かった。アルトリア、よくこんな店知ってたな」
「ええ、凛に教えていただきました。凛とアヤコはよく来るそうですよ」
「へぇ〜、そうなのか。なんとく、凛に合いそうな雰囲気だもんなぁ」
フフフ、名前を呼ぶときに赤くなっているようでは、まだまだですよ? シロウ。
と、不意に隣のテーブルの若いカップルが目に入る。
幸せそうな笑顔を浮かべながら談笑し、デザートを食べていた。
「……あの、シロウ? つかぬ事をお聞きしますが、アレは何という食べ物なのでしょう?」
と、隣のテーブルを小さく指差す。
「ん? ああ、あれはティラミスっていうデザートだよ。アルトリアも食べてみるか?」
「あぅ……その、よろしいのですか? シロウ?」
これではまるで私が強請ったようではないですか……まあ、強請ったのですけれど……
「じゃあ、オーダーしてくるな」
そう言って席を立つシロウ。
あ、そういえば……
「そういえば、シロウは少し背が伸びたのですか?」
「え? そうかな? 自分では気がつかなかったけど」
「はい、今日横に並んだときからそんな感じがしていましたので」
「そっか、遅い成長期が今頃来たのかな」
軽く微笑みながら、デザートを追加オーダーするシロウはほんとにいつものままで。
昨夜の辛い経験を感じさせぬようにと振舞っているのが、痛いほどわかってしまう。
恐らく凛に諭され、慰められたのでしょうが、それでも心に負った傷が一夜にして治ることなど無いのでしょうから。
しばらくすると、ギャルソンが私たちのテーブルへデザートを運んできた。
ほほぅ、これは楽しみですね。
「では、いただきます」
一口フォークを口に運ぶと、未だ経験したことの無かったとろける様な食感とほのかな甘みが口の中に充満した。
「こ、これは!」
「マスカルポーネっていうチーズを使ったデザートでね、うん、美味しいなここのティラミス。今度うちでも作ってみよう」
「それは楽しみです。シロウの腕に期待しておきましょう」
「まあ、努力してみるよ。でさ、アルトリア。この後の買い物なんだけど……」
む、シロウ……まさか貴方は、デザートをエサに逃げるつもりではないでしょうね!
言っておきますが、私は餌付けなどされていませんからね! ええ、これっぽっちも全く疑う余地など無くです!!
「はい、それではデザートを食した後、シロウに私の下着を見定めていただくとしましょう」
――ブッ!
フフフ、撤退戦とはもっとも難しい戦の一つなのですよ、シロウ。
それと、飲み物を噴出すのはマナー違反ですよ?
「……あの……アルトリアさん? なんで俺が見定めないといけないんでしょう?」
「たしか、昨夜シロウは私の胸について良からぬ考察をしていたはずです。その罰として受けていただきます」
ぷぅ、と頬を膨らませ拗ねたしぐさをしてみせる。
むぅ、きっと似合いませんね……私には。
「……うぅ、ワカリマシタ」
「よろしい。では、参りましょう、シロウ」
「お供しましょう、ミス・アルトリア」
にっこりと微笑んで私の手を取ってくれる。
少しわざとらしかったでしょうか?
できるだけ明るく振舞えるようにと思ったのですが……やはりこういった事は、凛のほうが上手ですね。
それでも、シロウが笑顔で居れるのなら良しとしましょう。
ヴェルデのランジェリーショップで激動の時間を過ごした後、私は女性洋服店へとシロウに連れられた。
『アルトリアにはいつも世話になってるから』
そう言って、シロウは春夏物の洋服を二着プレゼントしてくれた。
最初は頑なに固辞したのだが、
『女の子なんだから、たまにはお洒落するのも必要だろ。アルトリアは何着たって似合うんだから』
と笑いかけられては、断ることなど出来るはずも無い。
なるほど、作為無しでこういう事を言ってしまえるところが、凛の言う"
そして時刻は夕刻、私とシロウは大橋近くの公園でベンチに座りクレープを食べている。
「あの、シロウ? 今日はありがとうございました。洋服まで買っていただいて……」
「いや、必要なものなんだし気にしなくていいぞ。それに良く似合ってたしな」
……これでは、凛もこの先大変ですね。
「アルトリア……すまない。少し待っていてくれないか」
不意に立ち上がったシロウが真剣な表情へと面持ちを変える。
その視線の先を追ってみると……三歳くらいだろうか、女の子が一人何かに耐えるように口を真一文字に食いしばり俯いたままベンチに腰掛けている。
大きな瞳と綺麗な黒髪を左側でリボンで留めたその容姿は愛らしいものですが、涙を堪える様は見ていて少し痛々しい。
その少女へと歩みを進めるシロウを、私は慌てて追いかけた。
「どうしたんだい? そろそろお家に帰らないといけないよ?」
少女と目線を合わせるように正面に屈み、優しく問いかけるシロウ。
話しかけられた少女は、一瞬驚いたようにビクッと肩を震わせ大きな瞳をシロウへと向ける。
「……」
「大丈夫、おにいちゃんは、君の味方だ。へっぽこだけどな」
優しく微笑みながら、自分が着ているジャケットを少女へと掛けてやる。
たしかに、少々冷えてくる時間だ。
あのままでは寒かろう。
「……知らない……人とは……ヒック……話ちゃいけないって……ヒック……お母さんが……」
少女は涙を堪えながら、やっとのことで返事を返してきた。
「そうか、うん、君の言うとおりだな。じゃあ、お母さんが来るまで、おにいちゃんも一緒に待っていよう」
「……」
「ごめん、アルトリア。悪いんだけど、ちょっとだけ付き合ってくれないか?」
「無論です、気にしないで下さい、シロウ」
少女を間に挟む形で私とシロウもベンチに腰掛ける。
ほんとに、貴方らしいですね。しかも女性を連れながら、助ける相手が女の子というところがなんともいえません……
と、何やら物凄い視線を感じますが……
「お姉ちゃんの髪、金色に光って綺麗……」
なるほど、この髪の色が珍しいのですね。
「はい、私はこの国の人間ではありませんからね。ですが、貴方の髪も素晴しい艶ですよ。お母さんが手入れをしてくれるのですか?」
ハンカチで少女の目に溜まった涙を拭う。
「うん、あのね、毎日お母さんがブラシで梳いてくれるの」
やっと、少し笑顔を見せてくれました。
ほんとに愛らしい少女ですが、一体どうしたのでしょうか? こんなところに一人きりなどと。
「そうですか、優しいお母さんなのですね」
「うん、小雪のお母さんはやさしくて、すごくきれいなの」
小雪、という名前なのですね。
「そうでしたか。私はアルトリアといいます、貴女は小雪という名前なのですね?」
「うん、桂木小雪。三歳です」
ちらりとシロウと目が合い、お互いに頷く。
「母親が迎えに来れば一番なんだが、見たところ体力的にも精神的にも限界が近いみたいだ。ずいぶん長い時間、ここで待ってたんじゃないかな」
小雪を見やりながら、小声でシロウが話しかけてくる。
「そうですね……一人で気を張っていたところ、急に話しかけられ、一気に緊張の糸が切れたのでしょう。今にも眠ってしまいそうです」
「もう少し様子をみて、この子が眠ってしまったら、雷画爺さんに連絡をいれるよ。名前から、住所を探してもらおう」
「はい、わかりました」
そうこうしている間に、小雪は私の手を握り締め眠ってしまった。
「やはり眠ってしまいましたね」
「ああ、アルトリア少しの間この子を見ていてくれないか? 公園の入口に公衆電話があったはずだから」
「はい、お任せください」
「じゃあ、頼むな」
そういって、シロウは公園の入口へと駆け出していった。
たしかに、こういうときライガの人脈と組織は役に立つのだろう。
しかし……
春休みに入った公園には、結構な人通りがあったにも関わらず、小雪のことに気付いて行動を起こしたのはシロウだけだった。
正直、私も気付いていなかったのだ。
やはり、彼は違うのだと、改めて思い知らされる。
ふと自分の膝で眠る小雪へと視線を落とすと……
不安の中眠ってしまったのだろう。
その小さな手は、私の手を握って離さない。
ですが、もう安心ですよ、小雪。
貴方を見つけたのは正義の味方なのですから。
へっぽこですけどね……
「悪い、待たせちまったな、アルトリア」
へっぽこ……もとい、シロウが息を切らせて戻ってきた。
「い、いえ、それよりライガはなんと?」
「ああ、大至急調べてくれるそうだ。苗字からしてそう時間はかからないんじゃないかってさ。ついでに警察関係にも連絡してくれてる。それと凛にも連絡入れておいたから、いったんその子は家に連れて行こう」
「そうですか、わかりました」
小さな眠れる姫を背中に背負い、正義の味方は家路へとついた。
帰宅すると、凛が晩御飯の準備を整えていた。
シロウが連絡を入れたときに、頼んでおいたのでしょう。
居間へと上がり、シロウは眠っている小雪を起こさないようにそっと寝かせる。
「お帰り、士郎、アルトリア。その子ね、電話で言ってた子は」
「ああ、ただいま凛。悪いな、晩飯の用意までさせちまって」
「ただいま帰りました。凛、ライガから何か連絡は?」
「……」
はて、小雪を見るなり凛が固まったように見つめ続けていますが……
「あの、凛? どうかしたのですか?」
「え? あ、ああ、なんでもないわよ。え〜っと、雷画さんからはまだ連絡はないわね」
「そうですか」
いくらライガといえど、そうそう簡単にはいかないということでしょう。
「……う、う〜ん……え? あ、わんちゃんだ」
「わん♪」
「「「あ」」」
ってシロゥ、小雪を起こしてしまったのですね……
「目が覚めましたか? 小雪」
「あ、アルトお姉ちゃんとへっぽこおにいちゃん」
「「ぷっ……」」
すまない、シロウ……我慢できませんでした。
「……なんでさ」
「初めまして小雪ちゃん、私は凛ていうの。よろしくね」
「凛お姉ちゃん?」
「……そう、アルトお姉ちゃんとへっぽこおにいちゃんのお友達なの。今ね、小雪ちゃんのお母さんを、このおにいちゃんのお友達が探してるからもう大丈夫よ。だから小雪ちゃんは、わたし達と一緒に晩御飯を食べましょうね」
「はい、ありがとうございます。凛お姉ちゃん」
「……いいのよ、じゃ、食べましょうか。小雪ちゃんハンバーグは好き?」
「うん、小雪ハンバーグ大好き」
「そう、良かった。たくさん食べてね」
以外と言えば失礼でしょうが、子煩悩? なのですね。
しかし、凛……どうしたというのです? 今日の貴女は何処か変だ。
貴女のそんな悲しそうな笑顔は始めてみました。
そういえば、小雪は今朝夢に見た女の子に何処と無く似ている様な気もしますが……
凛が作ったデミグラスハンバーグは絶品でした。
小雪にも大好評で、おいしそうに食べていましたし。
食事中にライガより連絡があり、時間的に小雪の身元は明日にはわかるだろうとの事でした。
ただ、警察方面には捜索届けは出ていないという知らせが気になるところではあるのですが……
「小雪ちゃん、ココア美味しいかい?」
「うん! 美味しいよ、へっぽこおにいちゃん」
にまっと笑い、美味しそうにココアを飲む小雪。
どうやら、シロウにも打ち解けたようですね。
そしてシロウも、その名前を受け入れたのですね……
「小雪も、しろぅちゃんみたいなわんちゃんが欲しいなぁ」
「わんわん♪」
ああ、シロゥ揉みくちゃですね。
「小雪ちゃんのお家は、わんちゃんいないのかい?」
「うん、小雪のお家はね、小雪とお母さんだけだよ」
「そっかぁ。小雪ちゃん、今日はどこかへ遊びにいってたのかな?」
「ん〜とね、小雪は保育所に行ってたの。それでね、お母さんがお仕事でお迎えこれない時はね、いつもあの公園で待ってるの。でも……きょうは……おが……ヒック……おがあざん……ごながっだ……ヒック……」
「うわあぁ、ごめん、小雪ちゃん! ごめんね、おにいちゃんが悪かった。絶対おにいちゃんがお母さんのところへ連れてってあげるから、勘弁してくれないか?」
「士郎……」
「シロウ……」
何をしているのですか! 貴方はっ!
「う……反省してます……ゴメンナサイ」
「小雪ちゃん、泣かなくても大丈夫よ。このへっぽこおにいちゃんはね、正義の味方なんだから。だから絶対小雪ちゃんのこと守ってくれるから安心していいのよ」
「そうですよ、小雪。このおにいちゃんは絶対嘘を付きませんから。へっぽこですけどね……」
「うぅっ……ごめんな、小雪ちゃん。おにいちゃんの事、許してくれないか?」
「……はい、へっぽこおにいちゃん」
「ふぅ、ありがとう。じゃあ小雪ちゃん、今夜はもう遅いから、おにいちゃんの家で泊まって、明日お母さんのところへ一緒に行こうな」
フフフ、正義の味方も泣く子には勝てないのですね。
「小雪、へっぽこおにいちゃんのお家にお泊りしてもいいの?」
「ああ、もちろんだよ」
「小雪ちゃん、今夜は凛おねえちゃんとアルトお姉ちゃんと一緒に寝ましょうか?」
凛?
「しろぅちゃんも一緒に寝ていい?」
「ええ、いいわよ。じゃあ、その前に三人で一緒にお風呂に入りましょう」
「わ、私もですか? 凛!?」
いきなりなんですか?
「いいじゃない、たまには。ね〜小雪ちゃん」
「うん、一緒にはいる〜」
「う、わかりました……」
まあ、たまにはいいでしょう。
小雪も喜んでいるようですし。
しかしほんとに今日の凛は情緒不安定ですね。
「あ、士郎。私たちは一緒に寝るから、今日は隣の和室使わせてもらうわね。あ、お布団運び、ヨロシクね!」
「おう、任された」
「じゃあ、小雪ちゃんお風呂いこっか」
「は〜い」
「では、シロウお先に失礼します」
「ああ、後は任せてくれ」
その夜、私と凛、そして小雪の三人はまるで姉妹のように一緒に床についた。
安心して眠る小雪の寝顔が、誰かに似ているような気がしていたが、時間と共に私は眠りへと落ちていった。
そう、安心して眠る小雪の寝顔があまりに幸せそうで、私も凛も、その幸せの続きを疑うことなどなく……