Fate / in the world

ExtraSeason - Ex-07 「憧れの背中」 後編


「あの……シノブ?」

 堪りかねて、声をかけてみたのですが……

「むぅ〜」

 シノブはその口を真一文字に閉ざし、桜子の自宅をキッと見据えたまま身動きひとつしない。
 はぁ……まったく、頑固さだけなら父親以上です、貴方は。
 あれから桜子を追いかけ園を飛び出したシノブは、深山町のあちこちを探し、駆けずり回り、昼過ぎに桜子の自宅へと辿り着いた。
 一度だけ、インターフォンに応じた桜子が、ふるえる声で、

『ごめんね、忍くん。でも――もういいの……』

 と答えてから、事態は動かないまま今に至っている。
 つまり――昼過ぎから降りだした雨の中、シノブはずっと桜子の自宅の前で立ち続けている。
 分厚い雨雲に覆われた空は、そろそろ夕刻なのでしょう、西からどんどんと夜の色合いを強めている。
 流石にこれ以上はシノブの身体に障りかねないと思った時、不意に落ち着いた女性の声が降ってきた。

「あら? 確か、遠坂さんの忍君と、アルトリアちゃんよね?」

 その声に私とシノブが見上げた先には、赤い傘をさした大きな瞳の優しげな女性が立っていた。

「うん、そうだよ。もしかして、桜子ちゃんのお母さん?」

 確かに、私達の前に立つその女性の面影は、桜子によく似ている。
 ただ――その優しそうな表情には、疲れの影がはっきりと見て取れる事が気になります。
 おそらく仕事帰りなのでしょうが、それにしてもこれは……

「ええ、そうよ。でも、一体どうしたの? こんな雨の中、傘もささないで」

 そう言いながら桜子の母は、自分がさしていた赤い傘の中にシノブと私を入れてくれた。

「あのね、僕……」

 問いかけられた言葉に答えようとしたシノブは、一瞬躊躇したかに見えたのですが、すぐさま顔を上げ、

「僕、桜子ちゃんの味方になるから! 桜子ちゃんに伝えて欲しいんだ。絶対に僕が何とかするから、心配しないでいいよって。僕も頑張るから、一緒にがんばろうって。だから……お願いします!」

 一息にそう宣言するやいなや、凄い勢いで駈け出してしまった。って、あああぁぁぁ、置いてけぼりですか……私は……





Fate / in the world
ExtraSeason
【憧れの背中 後編】 -- 蒼き王の理想郷 --





 いつもは賑やかなはずの遠坂邸夕食時のダイニングは、カチャカチャという食器の音が響くほど静まり返っている。
 その原因は、

「う〜ん……」

 恐ろしく真剣な表情のまま、何かを考えながら黙々と食べ続けるシノブを、私達が固唾を飲んで見守っているからなのですが……

「ちょっと、アルトリア。一体どうしたのよ?」

 この雰囲気に耐えかねたのでしょう、凛がヒソヒソと尋ねてきた。

「わたくしも気になりますわ。びしょ濡れで帰ってきたかと思えば、ずっとあの調子なのですから」

 ルヴィアゼリッタも同じ様に耳打ちしてくる。
 まあ、当然といえば当然の成り行きですね。

「実は――」

 溜息を一つ零し、促されるままに私は今日起こった事の顛末を、凛とルヴィアゼリッタに説明した。

「なるほどね……それで、忍がこうなっちゃったのねぇ。まあ、しょうがないといえばしょうがないかな……」

「シノブらしいですわね……まるで昔のシェロを見ているようですわ」

 私の説明を聞き終えた凛とルヴィアゼリッタが、肩を竦めるようにシノブを見つめる。
 確かに――他の誰かのために、何とかしようと精一杯頑張る姿は、昔のシロウのようですね。

「ねぇ、お母さん」

 不意に顔を上げたシノブが、真剣な顔つきを崩さないまま凛に問い掛けてきた。

「ん? どしたの?」

「僕の幼稚園ってさ、全部で何人くらいいるのかな?」

 はて? 全園児の人数の事でしょうか?

「え〜っと、確か三クラスで六十人位だったと思うわよ。って、いきなりどしたのよ?」

「ううん、何でもないよ。ごちそ〜さま〜」

 凛の問いかけをかわしつつ、笑顔に戻ったシノブは食べ終えた食器をキッチンへと運んでいった。
 さて、一体何を思いついたのでしょうか?







「……私としたことが、不覚でした」

 深夜、目をさましてしまった私は、やむを得ない事情で一階へと降りてきた。

「就寝前にお茶を頂き過ぎましたね……」

 秘密の個室から出たところでふぅと人心地つくと、リビングの方からガサゴソという物音が聞こえてきた。

「おや? 凛とルヴィアゼリッタは工房のはずですが……」

 さては、不敬の輩かと思い、忍び足で近づいてみると……

「なっ?! こんな時間に何をしているのですかっ?!」

 リビングでは、シノブが大量の色紙と一人格闘していた。

「あっ! アルトリア?!」

「"アルトリア"ではありませんっ! 今、何時だと思っているのですかっ!!」

 そのきょとんした愛らしい顔が、今は逆に腹立たしいです!

「何時って、二時十五分?」

 まったく悪びれませんね、このお子様は……

「はぁ……それで? このような夜更けに一体何をしているのですか? これほど大量の色紙を用意して?」

 リビングの床に、でんと座り込んだシノブの周りには、真新しい青の色紙が大量に積まれている。
 いえ――それだけではなく、

「これは――色紙で作った、薔薇、ですね?」

 かなり緻密に作られた青い薔薇が数個、積み上げられていた。

「うん、そうだよ」

 私の問いに答えながらもシノブは黙々と薔薇を作り続けている。
 ふむ、ここは、諫言すべきでしょう。

「良いですか、シノブ。このような事は昼間にすることです。深夜に起きだし、睡眠も取らずにすべき事ではない」

「あのさ、アルトリア」

 幾分語気を強めた私の言葉を遮るように、シノブが話し掛けてきた。

「桜子ちゃん、ちょっと躓いちゃっただけだと思うんだ」

 一心に青い薔薇を作りながら話すその内容は――些か、話が見えませんが。

「今まで頑張ってきたんだもん、これからだってきっと大丈夫さ。ただね、今回のは少しだけ急な坂道だったから、躓いたんだと思う。だからさ、僕は桜子ちゃんが起き上がる手助けがしたいんだ。そうすれば、この先も歩いていけると思うから」

 なるほど……困難に負けず、歩き続けるのはあくまで本人であり、周りが代われるものではないということですね。
 それは理解できますが――それと、この青い薔薇が一体何の関係があるのでしょうか?

「今回のことは、クラスの皆が悪いわけでもないと思うんだ。もちろん、桜子ちゃんにだって悪いところなんかないし。じゃあどうすればいいかって、必死に考えてみたんだ」

 また一つ、新たに出来上がった青い薔薇を積み上げ、新しい色紙を手に取りながら、シノブは話を続ける。

「結局、僕に出来る事はさ、桜子ちゃんが頑張ってきたことを皆に理解してもらえるまで、諦めずに話すことしかないと思う。まずは、同じクラスの皆に話を聞いてもらって、解ってくれたらこの青い薔薇を胸につけてもらう。そうすれば、一目瞭然だしね。それで、次は幼稚園の全員に話して、解ってもらえるまで話し続けるんだ。その次は深山町の人達、その次は冬木の人達全員に。そうすれば、桜子ちゃんも安心して頑張れると思うから」

 何という事を……考えるのですか、貴方という人は。
 もちろん今の話を聞かされた人の大半が、どういった反応を返すかなど、私とて容易に想像できます。
 ですが――彼女と同じく父親のいない寂しさを知るシノブが、自身の寂しさなど微塵も見せずに、ただ彼女のためにと考え抜いたこの想いを、子供の絵空事と言わせたくはない。

「シノブ、貴方の気持ちは良くわかりました。ですが、どうか忘れないで下さい。桜子だけではなく、貴方にも味方がいるのだという事を」

 叶えさせてあげたい。これほど綺麗な想いを、絵空事で終わらせたくはない。
 そう思った時、私はシノブの隣に座り、真新しい青の色紙を手にとっていた。

「……ありがとう、アルトリア。うん、アルトリアのそういう優しいところ、僕は大好きだよ」

 薔薇作りを手伝い始めた私をきょとんとしながら見つめていたシノブが、満面の笑顔でとんでもないことを言ってきた。
 あの、シノブ? その笑顔で、その台詞は……反則です。
 思わず自分の顔が真っ赤になるのを自覚しながら、俯いてしまった。のですが、これは――

「シノブ、一つ訊ねます。この大量の色紙ですが……一体何処から、どのようにして調達したのか、説明していただきましょう」

 私がそう問いただした瞬間、シノブの目が見事に泳ぎだした。
 なるほど……面と向かっては言えない方法で入手したのですね。
 それはそうでしょう――何しろこの色紙を手に取った瞬間に、シノブの魔力が感じられましたので。
 まったく、困ったものですね、貴方は。







 翌朝、私はリビングに差し込む朝の日差しで目が覚めた。
 瞼を擦りながら体を起こすと、私の体にはタオルケットが掛けられていた。

「いけない――いつの間にか、眠っていたようですね」

 胡乱な頭のまま辺りを見渡すと、シノブが青い薔薇を作っていた。
 って、え? ま、まさか貴方は……

「あ、おはようアルトリア」

「お、おはようございます、シノブ。って、そうではなくっ! まさか、徹夜で薔薇を作っていたのですかっ?!」

 あまりに飄々と朝の挨拶を掛けられてしまったので、つい流されそうになりました。
 昨夜の時点と比べれば一目瞭然なほどに増えた青い薔薇を見れば、シノブの答えを聞くまでもないでしょう。


「うん、でも大丈夫だよ」

 徹夜明けにもかかわらず、元気いっぱいの笑顔でシノブが答える。

「ですがっ!」

「大丈夫だよ、アルトリア。僕は頑張れるからさ、頑張れる人が頑張るべき時に頑張れば良いと思うよ」

 私の心配を他所に、何やら頭がこんがらがりそうなことを言う。

「シノブ……」

「さあ、今日はここまでかな。じゃあ、幼稚園に行く支度しよう、アルトリア」

 はぁ……言い出したら、意地でも退かない。本当に、困ったものです。

 大量の青い薔薇を詰め込んだ紙袋を抱え、園に着くや否や、シノブは同じクラスの友達を集め、桜子のことを一つ一つ丁寧に話しだした。
 大人にとっても決して簡単ではない事柄を、大人の言葉で聞かされれば、当然の事ながら五歳の子供にはほとんど理解など出来るはずがない。
 しかし、それを同じ五歳の子供が理解し得た範囲を、自分と同年代の子供達に解かるように、様々な例えを使いながら話すとどうなるか?

「桜子ちゃん、すごいっ!」

「わたしも桜子ちゃんのこと、応援するっ!」

 それは、大人の理解とは違うのかも知れない。
 いえ、本当の意味で理解など出来るはずもない。
 それでも――たとえ誰であろうとも、努力の上に成り立つこの光景を、無意味とは言わせません。

「ありがとう、皆。それじゃあ、桜子ちゃんを応援してくれる人は、この薔薇を胸につけて欲しいんだ」

 話を聞き終え、賛同の声をあげだした友人に、シノブは昨夜作った青い薔薇を配りだした。

「うわぁ、すごく綺麗なお花〜」

「すげぇ、これ、忍くんがつくったの?」

 受け取った子供たちが目を輝かせて、胸に薔薇を咲かせていく。
 結局、土曜日のために半日で帰宅となった今日一日で、私達のクラス全員の胸に青い薔薇が咲いた。
 少なくとも、これで明日の父親参観日には、同じ子供同士からの桜子への迫害は無いと信じたい。
 どうかシノブの頑張りが報われますようにと、私は祈るような気持ちだった。







 園からの帰宅途中、少し遠回りをした私とシノブは、桜子の自宅の前にいる。
 今日、園をお休みした桜子の様子を気にしたシノブが、寄ると言い出したためなのですが。
 インターフォンのチャイムを押すと、しばらくしてから、

『はい』

 という、昨日聞いた優しげな声が聞こた。

「あの、僕、遠坂忍です。今日、桜子ちゃんお休みしてたから、気になっちゃって」

 インターフォンに向かって忍がそう言うと、ガチャリと言う音と共に玄関の扉が開き、桜子の母が出てきた。

「わざわざ来てくれたのね、忍くん、アルトリアちゃん。でも……ごめんなさいね、今、桜子は誰とも会いたくないって……」

 表情を曇らせながら、桜子の母は彼女の様子を伝える。
 やはり、今回のことは桜子にとって、想像以上にショックが大きかったのでしょうか。

「そっか……じゃあ、桜子ちゃんのお母さん。桜子ちゃんに伝えて欲しいんだ。あのね、僕の他にも桜子ちゃんの味方になってくれる子が一杯増えたんだよって。この青い薔薇を胸につけてる子は、皆桜子ちゃんの味方だからって。だから、安心していいよって」

 自分の胸に咲く、青い薔薇を見せながら、懸命に伝えるシノブに桜子の母は、

「ありがとう、本当にありがとうね、忍君。忍君やアルトリアちゃんのように優しい子が桜子のお友達になってくれたこと、本当に嬉しいの。桜子には、忍君の気持ち、きちんと伝えるわね。でも……無理だけはしないでね」

 どこか寂しさの混じった笑顔で、シノブの頭を優しく撫でながら答えた。

「うん、僕は大丈夫だから。それじゃ、さよなら!」

 桜子の自宅を後にした私達は、遠坂邸に向かって駆け出した。

「シノブ、帰宅したら直ぐに仮眠をとりましょう。良いですね?」

 貴方は昨夜一睡もしていないのだから、是が非にでも寝てもらいます。

「……」

 だというのに――困ったちゃんですか、貴方は。

「シノブ!」

「うん、ごめん、アルトリア。でもさ、明日は父親参観日だから、今日中に皆のお父さんの分の薔薇を作らなきゃいけないんだ」

 念押しした私の言葉に、シノブはまたもやとんでもないことを言い出した。

「なっ?! 皆の父親の分とは……もしや、シノブ。貴方は明日、皆の親にも話をするつもりなのですかっ?!」

 確かに、シノブの努力が報われて欲しいとは思う。
 ですが――正直、それが無謀な望みだと言う事も理解してしまう。

「もちろんだよ、今日薔薇を渡した皆には、おうちに帰ったらお父さんとお母さんにも話してねってお願いしておいたんだ。だから、言いだしっぺの僕が、ちゃんとお話ししないといけないよ」

 昨夜聞かされたシノブの理想からすれば、それは当然の事なのでしょう。

「ですが、シノブ。それは……」

「大丈夫だよ、きっと上手くいくから」

 笑顔でそう言いながら駆けるシノブを、私は無言のまま見つめる事しか出来なかった。







 父親参観日の朝、結局シノブは二日間一睡もしないまま、青い薔薇を作り続けたまま迎えた。
 流石にその顔には、疲れの色が隠せないでいる。
 だというに――凛もルヴィアゼリッタも施術の最終段階ということで、工房に籠りきりで顔を出さない。
 これは、後で折檻ですね。
 仕方なく私とシノブは、昨日と同じ様に紙袋一杯の青い薔薇を抱えながら園へと向かった。

 辿り着いたいつもの教室の後方には、大勢の父親が並んでいる。
 それが普段の雰囲気を著しく変えているのか、クラスの中がざわざわと落ち着かない。
 そんな中――たった一つ空席のままの机を、心配そうにシノブが見つめている。
 桜子に差し伸べたシノブの掌は、未だ届いていないのでしょうか……

「それじゃあ父親参観を始めますよ〜」

 物思いにふける私は、サエリ先生の声に、我に返る。
 どうやら、気づかない内に教室に来ていたようですね。
 そう思って気を引き締め直した瞬間、教室内に大きな違和感を感じた。
 これは――そう、私はこの"存在感"を知っている。
 思わずその違和感の元へと振り向こうとした時、サエリ先生が話し出した。

「その前に、皆にお知らせがありますので、静かに聞いてくださいね。実は、秋篠桜子ちゃんがお引越しで転校することになりました。急なお話しだったので、さよならも言えなかったのは残念だけど、お引越しした先でも頑張りますって桜子ちゃんは言ってました。だから、皆も応援してあげようねぇ」

 なっ?!
 なんですかっ? それはっ?!
 内心、サエリ先生の話を呆然と聞いていた私の横で、突然大きな音がした。

――ガタッ!

 悔しさを滲ませた顔で、シノブがその手を握りしめていた。
 次の瞬間――予想通り走り出したシノブを、私もまた追いかけた。
 サエリ先生の慌てる声を尻目に、通り過ぎる教室の最後尾、一瞬だけ私の視界の端に、全身を黒のスーツで覆った、白髪の男性の後ろ姿が映った気がした。







「桜子ちゃんっ!!」

 幼稚園を飛び出した後、休むこと無く走り続けたシノブと私は、視線の先に車に乗り込む寸前の桜子と母親の姿を捉えた。
 懸命に叫ぶシノブの声が届いたのか、桜子の母がこちらを振り向いた。

「待ってっ! お願いだから、待ってよっ!!」

 零れた悔し涙をグイッと拭いながら、シノブが叫ぶ。
 それに気がついた桜子が、信じられないという表情で一言、

「忍くん……」

 と呟いた。
 休みなしで走り続けた荒い呼吸もそのままに、シノブは桜子とその母に、懸命に話し出した。

「もう大丈夫なんだ! クラスの皆が桜子ちゃんの味方なんだからっ! それに! これからも、僕は話をし続けるからっ! 深山の人に、冬木の人に、皆に解ってもらえるまで、話し続けるからっ! だから、桜子ちゃんは何処にも行かなくていいんだっ!!」

 流れる涙も気にしないで話すシノブに、桜子の母が優しく諭すように語りかける。

「ありがとう、忍君。でもね、この引越は私の病気のせいなの。決して逃げ出すわけじゃないのよ。私の病気がわかってから、実家へ戻ることは決まっていたことなの。ただ、その時期が少しだけ早くなっただけ」

「でもっ! でもっ!!」

 それでも納得がいかないと食い下がるシノブに、桜子が話しかける。

「忍くん、おかあさんから聞いたよ。わたしのために、すごく頑張ってくれたって。ありがとう、本当にありがとう……わたし、これからも頑張るよ。忍くんが応援してくれたから、これからも頑張れるよ」

 今まで人前で泣かなかった桜子が、その大きな瞳から大粒の涙を零している。

「桜子、ちゃん……」

「ありがとう、わたし絶対に忍くんのこと忘れない」

 泣きながら笑顔を見せた桜子は、そう言って母親と共に車に乗り込んだ。
 そして後部座席の窓が開かれると同時に、

「桜子ちゃんっ! これをっ!」

 シノブは自身の胸に咲いていた青い薔薇を、桜子に差し出した。

「桜子ちゃんの味方になってくれたみんなは、この青い薔薇を胸に着けてるからっ!」

「うん、うんっ!」

 涙ながらに差し出された青い薔薇を桜子が受け取った時、ゆっくりと車が加速しだした。

「桜子ちゃんっ! 僕も頑張るから、桜子ちゃんも頑張れっ!!」

 走り出した車を追いかけながら、シノブが叫ぶ。

「うんっ! 約束する、わたし頑張るからっ!!」

 窓から身を乗り出すようにして、桜子が答える。
 もう――みていられません……

「何処に行っても、僕は桜子ちゃんの味方だからっ!!」

「忍くんっ! 忍くんっ!!」

 桜子の最後の声を残したまま、車は徐々に見えなくなった。
 それを――立ち尽くしたまま見送るシノブの体が、不意に揺れた。

「シノブ!!」

 危ないっ! 私が駆け出そうとした瞬間、倒れこむシノブの前に大きな背中が現れた。
 意識を失うように倒れこんだシノブの体を受け止めたその背中は、

「よく――頑張ったな」

 穏やかな声でそう呟きながら、シノブを背負い、立ち上がった。

「そんな――まさか……」

 あまりの驚きに上手く言葉がでない私に、

「元気そうで何よりだ、アルトリア」

 黒のスーツを身に纏った、白髪の英雄が振り返りながら微笑んできた。

「シロウ……」

 その姿は、あの懐かしい倫敦での想い出そのままに……







 シノブを背に背負ったシロウと共に遠坂邸へと帰宅した私達を、玄関先で凛とルヴィアゼリッタが待っていた。

「お帰り、アルトリア、忍――それと、士郎っ!!」

 恐らく万感の思いを込めたのだろうその言葉と共に、凛が士郎の胸へと飛び込んだ。
 片手で背中のシノブを支えながら、シロウが凛を受け止める。

「先ほどまで澄ましていた割には――やはり、こうなりましたわね。お帰りなさい、シェロ」

 呆れたように微笑むルヴィアゼリッタも、シロウに声をかける。

「ああ、ただいま。凛、ルヴィアさん、アルトリア」

 それに、微笑みながら答えるシロウ。
 ですが――私には未だこの事態が掴めていないのです。

「凛、そろそろ泣き止めよ。アルトリアがわけわかんなくて、困惑してるぞ? それに、忍を寝かせてやらなきゃいけないだろ?」

 ぽんぽんと軽く凛の頭を叩きながら、シロウが凛に声をかける。

「うるさい、バカ! こんなにいい女を未亡人にした罰よ! もう少しくらい、わたしに泣かれて困りなさいよっ!」

「相変わらず、お前の可愛さはわかりづらいな」

 憎まれ口を叩きながら泣き続ける凛に苦笑しながらも、シロウが促す形で、私達は家の中へと入った。

 シノブをベッドに寝かせた後、シロウがここに居ることの説明を求めた私に、凛とルヴィアゼリッタが説明をしてくれた。
 そう、何年ぶりかで味わうシロウが淹れた紅茶を楽しみながら。

「なるほど……それでは今のシロウは、サーヴァントのようなものなのですね」

「まあ、そこまで大したものじゃないんだけどね。ほら、切嗣さんの前例があるでしょ……あれを真似ただけなのよ」

 前例が前例なだけに、若干言い淀む凛。
 まあ、致し方なしでしょうね。

「ただ――何のサポートもなしに、わたくしと凛の魔力、それと冬木の地脈から得た大源(マナ)だけを使用して、半ば強引にシェロを召喚したものですから、その……」

 ルヴィアゼリッタも言いかけた言葉尻を濁している。

「ああ――長くて明日の朝までだな」

 そんな二人に比べ、きっぱりと言い切ったシロウの言葉に、場が静寂に包まれる。

「あ〜、頼むからそう暗くならないでくれないか。俺としては、凛に会えたし、ルヴィアさんやアルトリアにも再開できた。それになにより、成長した息子の姿を見ることが出来たんだ。こんなに嬉しいことはないんだから」

 笑顔のままそう話すシロウに、

「そうね、士郎の言うとおりだわ。それじゃあ士郎、今夜のご飯、お願いね」

「それは、素晴らしいアイデアですわ。シェロの手料理がもう一度いただけるなんて」

「はい、こんなに嬉しいことはまたと無い」

 私達も喜びをぶつけていく。

「了解……それじゃあ、気合入れて作りますか」

 上着を脱ぎ、腕まくりをしたシロウがキッチンへと向かうさまは、昔のままだった。







 山の向こうが朝焼けに染まり始めた今、二人して旧衛宮邸から戻ってきた凛とシロウを、私はルヴィアゼリッタと共に遠坂邸の玄関先で待っていた。
 昨夜、ルヴィアゼリッタが気をきかせ、私が鍵を渡して、シロウと凛を旧衛宮邸へと放逐した。
 元々、現世での私の両親に頼み込み、シロウの部屋は当時のままにしてありましたし。

「そろそろだな」

 何の気負いもなしに、そう呟いたシロウの体は、徐々にその存在感が薄れ始めだした。
 一つだけ、悔いがあるとすれば――シノブがシロウと話す機会が無かったことでしょうか。
 そう思った瞬間、

――バンッ!!

 と、勢い良く玄関の扉が開かれた。

「……お父さん?」

 寝間着姿のまま呆然と立ち尽くす、シノブが語りかける。

「ああ――大きくなったな、忍」

 その姿を見据えたまま、静かにシロウが答えたと同時に、シノブの目から大粒の涙が零れだした。
 大声を上げて泣きながら走りだした我が子を、薄れ行く体を物ともせず、その広い胸でしっかりと受け止める。

 シロウ――どうか、貴方の子を褒めてあげて下さい。
 まだ五歳という幼さで、何よりも周りの人を思いやり、自身の寂しさなど微塵も見せないその強さを。

 どうか、貴方の子を誇ってあげて下さい。
 英雄と呼ばれる父親に恥じないよう、精一杯努力するそのひたむきさを。

 そして、どうか力一杯抱きしめてあげて下さい。
 貴方の子が誰よりも尊敬し、憧れる貴方のその腕で。

「全部聞いたぞ、今回お前は間違いなく"正義の味方"を張り通したんだ。だから胸を張れ」

 優しく諭すシロウの言葉に、

「僕、もっと強くなるよ! 守りたい人を守れるように! それで、いつかお父さんを超えて"エミヤ"を名乗るからっ!」

 消え行く父親を見つめながら、力強く答えるシノブ。
 その言葉に、

「ああ――安心した」

 と笑顔を残し、朝の光の中、シロウは帰っていった。






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