Fate / in the world
ExtraSeason - Ex-07 「憧れの背中」 前編
六月初旬の早朝、この国では梅雨と呼ばれる雨季に差し掛かるのですが、冬木の空には雲ひとつ見当たらない程の蒼穹が広がっている。
そんな青空の下、ここ遠坂邸の庭で私は少々短めの竹刀を手に、シノブと相対している。
とある理由で先月から始まったこの早朝鍛錬は、私にとっても日課になりつつある。
まるであの頃のように……ですが、当然今は今であり、当時とは大きく異なることもある。例えば――
この清々しい空気の中、眼前ではシノブが呼吸を整え、その気迫を丁寧に己が内へと隠し込んでいく。
色鮮やかな紫陽花が咲くこの庭の風景に溶け込むように、まるで存在そのものを消し去るが如くその集中を高めて行く。
その様は、熱く激しくただがむしゃらに己が理想をぶつけて来た彼の父親の剣とはまるで正反対だ。
そして――静と動が入れ替わる!
「ハッ!!」
無形の位から一転、倒れ込む程の前傾姿勢をとるや否やの突進は、誰に教わった訳でもなく自然と身についた独特の歩法で瞬時に自身の最高速度を引き出す。
実際のところ――シノブの最高速度は初心者時代のシロウにも遠く及ぶものではないのですが、完全な静止状態からの瞬間加速であるため、普通の人間ならばその動体視力で捉え得る範疇外へと逸脱してしまう。
しかも、決して単調な直線的攻撃を行わないその剣閃と相まって、非常に攻撃の先読みが難しい。
相手の死角へ死角へと己を移動させ、その死角が見つからないとなれば緩急を切り替えた体捌きで死角を作り出そうとする。
「クッ!」
フェイントを織りまぜた瞬速の突進で私の左手から攻め込んで来きたシノブの一閃を弾くため、魔力放出で十分に速度を上乗せした剣閃を放つ。
それを父親譲りの驚異的な目の良さで捉えてしまうのだから始末に終えない。
互いの竹刀の鍔元を合わせ、私の剣筋に逆らわずいなしながらくるりと身体を入れ替えたシノブは、完全に死角となった私の背後から渾身の刺突を放とうとする。
正直、たいしたものです。シノブの年齢とましてや剣を持ち始めてまだ一月足らずという事を考えれば、末恐ろしいと言えるでしょうか。
もし貴方の父がこれを目にしたならば、どれほどその才を羨むかしれませんね。
思わず口元が緩みそうになりますが――私とて剣の英霊の再来です。そう安々と勝利を献上するわけにはいきませんっ!
背後の死角から突き出される刺突に対し自身の直感を信じて竹刀を合わせ、先ほどのシノブと同じ様にその剣筋をいなしながらくるりと身体を回転させつつ、交差際に後頭部へと一撃を入れる。
確かな手応えと共に乾いた竹刀の打撃音が響いた直後、シノブが芝の上を転がる様が視界に映る。って、あぁ、やりすぎてしまいました……
「あいたたた」
痛みに顔をしかめながら後頭部をさすり、シノブが起き上がる。
「だ、大丈夫ですかっ?! シノブ!」
思わず自分が放ってしまった剣閃の鋭さにドキリとして、シノブに駆け寄った。
明らかに過剰な鋭さを持った一撃は、勝利すべき為のものであり指南を目的としたものとしては不適切だった。
ですが、師としてこれ程困惑する弟子もまたといないでしょう。
何しろ前日計ったその技量が、今日には全く通用しなくなっているほどに上達が速いのですから。
「うん、これくらい平気だよアルトリア。僕がお願いして稽古をつけてもらってるんだから、気にしなくていいよ」
にこにこと楽しげに向けられる笑顔に、ちょっぴり自己嫌悪してしまいます。
今私が振るった剣速に反応できる人間は、特殊な例外を除けばそうそう居ないはずなのですから。
「でも……」
と、向日葵のような笑顔を悔しげに曇らせたシノブが呟いた。
「遠いなぁ――お父さんの背中は」
ぎゅっと竹刀を握りしめたシノブが、唇を噛み締める。
なるほど、貴方はシロウの背中を追いかけてその剣を振るっていたのですね。
英雄の生まれにくい現代において今なお、語り継がれるほどの父親の背中を。
それは何とも微笑ましい限り、なのですが――剣を手にとって一月程の頃のシロウと今の貴方が対戦すれば……
あ、いえ、これは言うべきではありませんね。
ええ、私は"
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ExtraSeason
【憧れの背中 前編】 -- 蒼き王の理想郷 --
「「行ってきま〜す!」」
しっかりと朝食をとり、身支度を整えた私とシノブが玄関先で声を揃える。
元気の塊のようなシノブの声が遠坂邸に響き渡る。
「あい、気をつけて……行ってらっさい……」
「車に……気をつけて……行ってくるのですよぉ……」
もっとも、それを送り出す側の大人二人はボロボロですが……
幽鬼のようにふらふらと玄関まで見送り来た凛とルヴィアゼリッタは、半分も開いていない眼で無理やり笑顔を作り出している。
まあ、その努力だけは買いましょう。
ここ数日、朝の二人は決まってこの状態なので、私もシノブも取り立てて気にはしない。
揃って玄関を飛び出すと、幼稚園までの道のりを駆け出す。
これも、先月から始まった鍛錬の一つだ。
最初の数日間はかなり息の上がっていたシノブも、最近では話しながら走る余裕すらある。
「お母さんもルヴィアお姉さんも、すごく忙しそうだね。お仕事大変なのかなぁ?」
両側に洋館の立ち並ぶ坂道を駆け降りながら、シノブが心配そうに一言漏らした。
まあ、あれだけボロボロな状態の凛は、私も久しぶりではありますが。
「そうですね、シノブは初めてかもしれませんが――昔の凛はよく徹夜で魔術の研究をしていましたので、あのような状態は珍しくなかったのですよ」
シノブに応えながら、思わず倫敦での暮らしを思いだしてしまう。
私と凛と、そして――シロウのいた、あの騒がしくも楽しかった想い出を。
「へぇ〜、そうだったんだ。おっと!」
私達の昔話をどこか不思議そうに聞くシノブが、旧間桐邸跡の空き地の前で急停止する。
そして、私とシノブは揃って数刻の祈りを捧げる。これも、二人で決めた暗黙の約束事だ。
再び走りだした私達は、交差点を目指して速度を上げていく。
「でもさ、もしそうならお母さん達って何かの魔術の準備をしてるのかな?」
遠くに深山町の中心となる交差点が見えはじめた頃、不意にシノブが訊ねてきた。
というか、貴方はこの速度で走りながら平然と話せるのですか?
まあ、それはさておき……
「詳しいことは判りませんが――恐らくそうなのでしょう。ここ数日、冬木の地脈に少し変化がありますし、遠坂邸周辺の
これは、凛の所業でしょうね。
何をしようとしているのかは判りませんが、大丈夫でしょう。多分……
それにしても、あの二人をしてボロボロになるまで準備に手間取るような施術とは一体?
「そっかぁ……そんなに忙しいのに、毎日ご飯の準備やお弁当作ってもらうの、なんだか悪いなぁ……僕にも手伝ってあげられないかなぁ」
坂を駆け降りた勢いそのままに交差点を左折して、一路幼稚園へと向かうなか、まるで彼の父親が言い出しそうな言葉を聞いた。
もしこれを、あの当時のシロウが口にしたのなら間髪入れずに、
『あんたがわたしの心配するなんて百年早いわよっ!』
と、照れる凛に叱られていたのでしょうね。
ですから此処は、私がシノブを諌めるとしましょう。
「シノブが凛達を想う気持ちは良く解りますし、それは貴いものです。ですが、シノブ――忘れてはいけないことがあります。彼女たちは超一流の
「……」
思わず力説してしまった私を、並走するシノブがポカンとした顔で見つめていた。
温かな日差しの中、開け放たれた教室の窓からは気持ちの良い風が入ってくる。
今、この場にいる二十名の小さな瞳はただ一人の人物へと向けられ、無心にその言葉を待ち構えている。
それはまさに、戦場において指揮官の号令を待つ兵の如く。
「じゃ、じゃあ、いただきます」
あまりの気迫にやや気圧された感のあるサエリ先生の"いただきます"が宣言されると同時に、皆がきゃいきゃいとお弁当の蓋をあけ食事に取り掛かりだした。
私達のクラスを取り仕切るサエリ先生はまだ歳若く、今年はじめて自身のクラスを担当するということらしい。
指揮官の優劣は経験のみに左右されるものではありませんが、やはり些か経験不足に過ぎることは否めないようですね。
もっとも、常に私達へと向けられる彼女の慈しみの眼差しは、そう遠くない将来に彼女が優れた指揮官へと成長する資質でしょう。
と、そんな事を思いながらお弁当の蓋を開けていると、既に恒例行事となってしまった"儀式"が早速始まった。
「忍くん、わたしのたこさんウインナーあげる」
「忍くん、このミートボール食べてぇ」
「忍くん、はい! 卵焼きだよ。あ〜ん」
忍くん、忍くん、忍くん――次から次へと皆が自身のおかずを忍に差し出していく。しかも、相手は全て女子。
それに満面の笑顔で応えきるシノブもどうかと思いますが……
はぁ、と溜息をつきながら視線を外すと、シノブを囲む人垣に押し出されたようにポツンと佇む少女が、手に持ったフォークのかにさんウインナーを、出したり引っ込めたりしながら、輪の中心にいるシノブを見つめている。
え〜……確か、彼女は桜子。秋篠桜子でしたね。
なるほど、いつも物静かでどちらかと言うと自己主張が苦手な彼女は、自分からあの輪の中へ飛び込めなかったのですね。
そうこうしている間に、シノブを囲んでいた輪が解かれ、皆が自分の席へと戻り始めた。
それを見た桜子は、その大きな瞳を閉じ、とぼとぼと自分の席へ戻ろうとする。
その様子に、名前の似た彼女のことを思いだしてしまった。
自己主張が苦手で、いつも彼の姿を見つめていた物静かな彼女のことを。
「桜子ちゃん!」
不意に響いたその声に呼び止められた桜子が、その声の主へと振り返る。
「は、はい!」
胸の前でかにさんウインナーのついたフォークを握りしめたまま、固まってしまった。
「そのかにさんウインナー美味しそう! 僕、もらっていいかな?」
そう言うやいなや、シノブは桜子が手にしたフォークからパクリとかにさんウインナーを頬張った。
「うん、美味しいよ、ありがとう桜子ちゃん」
もぐもぐとかにさんウインナーを頬張りながら笑顔で話しかけるシノブに、満面の笑みで応え席に戻る桜子。
良かったですね、桜子。見ていた私まで、微笑が零れてしまいそうです。
ええ、それはそれは大変微笑ましいのですが――あれだけ女子に囲まれ、一人一人に応えながら、その輪の外にいた桜子の想いに気付いたのですか、貴方は。
剣の才とは別に、末恐ろしいですね……
「せんせ〜い、さよ〜なら〜!」
西の空が赤味を帯びてきた時刻、元気よく手を振りながら皆が三々五々と帰宅の途についく。
そんな中、私とシノブは未だ教室に残っている。
如何に剣の才があり、異端の魔術を使うといってもまだまだシノブは五歳児なのです。
あれだけの人数からおかずを頂いた上に、自分のお弁当まで食べきるなど、最初から不可能というものでしょう。
ということで今現在、シノブは残してしまった自分のお弁当を食べているのですが……
「やはり少しは断るべきです。これではシノブの身体に悪影響だ」
そもそも先月からの鍛錬も、この強制的な栄養摂取過多に対処するために始めたのですから。
「でもさ、食べ過ぎた分はきちんと体を動かして消費してるんだよ? だから大丈夫さ、アルトリア。それに、みんなの好意には応えたいし、お母さんが作ってくれるお弁当だって残すのは嫌なんだ」
にこりと笑ってお弁当を食べるシノブに、思わず溜息を零してしまう。
ええ、そうでした。こういう時、一度言い出すと絶対に聞かないのでしたね、貴方も、貴方の父親も!
まったく……こんなところは似なくてもよいではないかと思った時、私達しか居なかった教室のドアががらりと開いた。
「あっ?! し、忍くんとアルトリアちゃん?」
恐らく忘れ物でも取りに戻ったのでしょうが、まさか教室に誰かがいるとは思わなかったのでしょう。
「あれ? どうひふぁの? ふぁくらこひゃん」
「シノブ、きちんと飲み込んでから喋らないと、お行儀が悪いですよ」
まあ、食事作法の基本ですね。
ん? 気のせいか、昔シロウに同じ事を言われたような……
「えっと、わたしはプリント忘れちゃったから、取りに戻ったの」
そう言って桜子は机の中から、"父親参観のお知らせ"と書かれたプリントを取り出した。
「そっかぁ、ってそうだ! 今日はかにさんウインナーありがとね! 桜子ちゃん。美味しかったよ」
やっと食べ終えたお弁当を、袋の中に片付けながら、にこにことシノブが桜子に応える。
それを桜子がその大きな瞳でじっと見つめていた。
「えっ? あ、ううん。それじゃあ、わたし帰るね。忍くん、アルトリアちゃん、また明日ね」
はたと我に返り、改めて思い出したように桜子が教室を出て行く。
しかし……そうでした。今週の日曜日は、"父親参観"だったのですね。
私は両親ともに仕事の都合で倫敦に戻っていますので、お父様の参加は無理ですが、それでも父親が健在であることに違いはない。
ちらりとシノブへ視線を移すと、その表情はいつもの通り、にこやかなままだ。
さて――どうしたものでしょうか。
「それじゃあ、僕達も帰ろうか、アルトリア」
「はい、そうですね」
普段と変わらないシノブの言葉に応えながら、私は思案に暮れていった。
品の良いアンティーク調の照明が漏らす暖色系の光が、ワインレッドとベージュを基調にした遠坂邸のリビング照らしている。
キッチンからは、凛が用意している夕食の良い匂いが漂ってきている。
その美味しそうな匂いに誘われたわけではありませんが、私はキッチンへと歩を進めた。
例のことを話すならば、ルヴィアゼリッタにシノブが魔術講義を受けている今が最良でしょう。
「あら、アルトリア。夕御飯、もうちょっと待ってね。これから最後の仕上げだから」
豪快に中華鍋を振っている凛が、キッチンへと入った私に声をかけてきた。
「あ、はい……って、別に夕食の催促に来たわけではありません」
「ええぇぇっ??」
何ですか? その在り得ないものを見てしまったというようなリアクションはっ!
まあ、今は良いでしょう、それよりも……
「少し、凛に相談したいことがあるのです。料理の手は休めずとも構いませんので聞いて頂けますか」
幾分重い表情で話し出した私の言葉を遮るように、
「まあ、何となく想像はついてるわよ――父親参観。でしょ? 今週の日曜日だっけ?」
「ッ?!」
飄々とした面持ちのまま、あれ? 違った? というように凛が問い掛けてきた。
「流石ですね、凛。やはり貴女は遠坂凛だ」
どれほど魔術の研究に没頭していようとも、やはりシノブの母としての役割をもきちんとこなしている。
私の心配は無用のものだったようです。
「へ? 何よソレ? まあいいけど……それより今週の日曜かぁ、正直言っちゃうと日程的にきっついわねぇ」
「なっ?! ルヴィアゼリッタと二人して何かの施術を試みているようですが……貴女達二人を持ってしてもそこまで困難な魔術なのですか? いや、もしそうであってもその日だけでもなんとかならないのでしょうか?」
これは、些か予想外でした。
あの遠坂凛が、弱気になるほどの施術だったとは。
「う〜ん、困難っていうより、わたしもルヴィアも専門外なのよねぇ、今回の魔術は。はぁ、こんな時に桜がいてくれたらなぁ……って、これは言ってもしょうが無いわね。それから、術式構築の途中で手を離す事は不可能よ、というよりもそもそも日曜までに終わらせないと意味がないのよ」
厳しい表情で出来上がった料理を大皿に盛りつけながら、凛が私の問いかけに答える。
「……そうですか」
「まあ、そう暗い顔しなくても大丈夫よ、アルトリア。何とかしてみせるわ。はい、出来上がり! それじゃあ、忍とルヴィア呼んできてくれる?」
深刻な表情の私を励ますように、凛が笑顔を投げかけてきた。
遠坂凛が大丈夫と言ったのです。
ならば私も、それを信じるとしましょう。
「はい!」
と応え、シノブとルヴィアゼリッタを呼びに向かう。
まずは、腹拵えです。
人間、空腹な時は碌な考えが浮かばないといいますし。
気持ちを切り替え、私は二人の元へと向かった。
翌日、いつものように女子に囲まれ、いつものようにお裾分け攻撃を受けながら、シノブはその視線を近づいてきた少女へと向ける。
耳まで真赤にしながら、恥ずかしさで思わず下を向いてしまいそうになる自分自身を懸命に励ますように、その小さな手を握りこんだ少女――桜子が、シノブに言い放った。
「し、し、忍くん! 忍くんのウインナー、わたしに食べさせてっ!」
一瞬にして静寂に包まれた教室の中、全員の視線が桜子へと集中する。
普段から物静かな、どちらかと言えば印象の薄い彼女が、皆の前でしかも大声でこの言葉を言うために、どれ程の勇気を必要としたのだろうか。
音の無くなった教室で、目をギュッと閉じて耐える桜子へ、優しく明るい声が向けられた。
「うん、いいよ。桜子ちゃん、あ〜ん」
自分のお弁当からフォークでウインナーを取り出し、満面の笑顔で差し出すシノブ。
涙の滲んだ大きな瞳を開き、桜子はその小さな口で勇気の対価をカプリと頬張った。
まあ、当然のことですが、その後シノブのおかずが全て周りの女子に簒奪されたのは自業自得でしょうか。
と、言うよりも――これは桜子なりの気付いかいだったのでしょうね。
いつも自分たちからのおかずのお裾分けを全て受け入れるシノブが、自身のお弁当を食べかねていた現場を見た上で、彼女が知恵を絞った結果の行動だったのでしょう。
もっとも、ものには限度というものがあるのですが、まだまだ五歳の子供たちには、その辺りの感覚が欠如しているようですね。
「はぁ……仕方ありませんね」
溜息のあと、私は自身のお弁当から卵焼きをフォークにさし、隣のシノブへと差し出した。
「シノブ、そ、その……あ、あ〜ん……してください」
だって、仕方がないではありませんか!
このままでは、シノブが空腹のまま食事を終えることになってしまうのですからっ!
「うん! ありがとう、アルトリア」
お礼を言いながら、パクリと私のフォークにかぶりついたシノブは満面の笑顔を私に向ける。
ああ……この笑顔に魅せられては、次もあげたくなる気持ちはわかりますね。
つまり、結局この状況はシノブの自業自得ということではないですか!
「……ハッ?! そ、そういう意味だったのね、桜子ちゃんの言葉って。やだ、私はてっきり……」
先ほどの騒ぎから今の今までメドゥーサに睨まれ石化したかのように固まっていたサエリ先生が復活したようです。
五歳児の純真無垢な言葉をどのように勘違いしたのか、彼女の顔は朱に染まっているのですが……
今日は居残りでお弁当を食べる必要がなくなったため、いつもより少し早くに帰宅の途につきました。
それはつまり、他の子供達と同じ時間に帰宅するということで……
今現在シノブの左隣を私が、右隣を桜子が歩いているのですが。
何でしょうか? この珍妙な緊張感は? 何と言うかこう、背中がムズムズするような……
「あっ、あのっ! アルトリアちゃんっ!」
「はひ?」
いきなり沈黙を破った桜子の呼びかけに些か驚いてしまいました。
「アルトリアちゃんは、忍くんと同じおうちでくらしてるんですよね?」
「え? あ、はい。そうですが」
真剣な表情で訊ねてくる桜子の気迫に押され、そのまま答えてしまいました。
まあ、隠すほどのことではありませんが。
「そ、それってやっぱり。ふたりは……つ、つきあったりしてるの?」
「は?」
何を言っているのでしょうか? このお子様は……
いえ、ここは冷静になりなさいアルトリア。
姿は子供といえど、私は分別ある大人なのですから。
「だっていつも一緒にいるし……みんなも噂してるし……」
まったく、今時の子供は……五歳児がつきあって何をどうしろと言うのですか。
「桜子、私とシノブは――「うん、突き合ってるよ」――は?」
桜子を諌めようとした私の言葉を遮るように、シノブが爆弾を落としました。
って、何を呆けているのですか、私はっ!
「それだけじゃなくて、撃ち合ったりもするよ」
シノブ……貴方はシロウを越えるかもしれませんね……
無邪気に答えるシノブと対比して、桜子の大きな瞳に涙が溢れている。
はぁ、仕方ありません……
「良いですか、桜子。落ち着いて聞いてください。あ、それからシノブ。今から私がよしと言うまで喋らないでください。良いですね?」
まずは桜子を落ち着かせ、同時にシノブに最大限の剣気をぶつけて言質を取る。
さすがに鍛錬を始めた成果でしょうか、敏感に私の剣気を察知したシノブはこくこくと面白いように首を縦に振ってくれました。
「私とシノブは毎朝剣道の鍛錬をしているのです。ですから、突きを撃ちあったりすることもあります。それをシノブは”突き合ったりする”と言ったのです。それと、私がシノブの家でお世話になっているのは、私の両親が仕事で海外へと赴いている為です。わかりましたか? ですから、今のシノブの言葉に桜子が悲しむ必要は何処にもないのですよ」
一つ一つ言い聞かせるように話す私の言葉を聞いて、真っ先に反応したのは予想通りシノブでした。
「ええぇ! もしかして僕、何か――「シノブ? 沈黙は金、ですよ?」……」
再度剣気を叩きつけながらにっこりと微笑むと、両手で口を塞いだシノブがまた面白いほど首を縦に振ってくれた。
ええ、いつもそれくらい素直であれば、助かります。
「あの……アルトリアちゃん? それじゃあ、もしかしてアルトリアちゃんも今度の日曜日に……その……おとうさん、来ない、の?」
おずおずと訊ねてきた桜子の質問は、些か私が予想していたものとはかけ離れていた。
いやそんな事よりも、”アルトリアちゃんも”と言いましたね、今。
「はい、そうなりますが……もしかして、桜子もですか?」
一瞬聞くべきか迷いましたが、言葉が先に出てしまった。
その問いかけに、ピクリと肩を震わせた桜子は、
「うん、わたし、おとうさん居ないから」
夕焼けの空の下、何とも胸を締め付けられる程に哀しい笑顔で答えてくれた。
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