Fate / in the world
022 「ゼルレッチ」 後編
あ……ダメだ……アレはダメだ……
他の五体も常識外れだけど、アレだけは戦うとかそんなレベルのモノじゃない。
人間としての本能の部分が目の前の存在を否定しろと強請る。
まさに理の外に存在するモノだ。
輝く十二枚の翼を優雅に広げ、いっそ清々しいまでの悪意と魔力を放出しながら、最後に召喚されたサタンがその金色の瞳を開いた。
その瞬間!
俺たちを囲む結界の周りの空間に、無数の揺らぎが生じ始める!
その様はまるで第五次聖杯戦争で戦った英雄王の宝具、"
そして全ての揺らぎから第六架空元素が放出され……
拙いっ! 何を呆けてるんだ俺はっ!!
「――
投影直前で
高々二十本程度の剣を掃射したところで、打開できる規模じゃない!
巨大な魔法陣の内側、その空間を全て埋め尽くす程の、悪魔の軍勢が召喚されようとしているんだから!
「凛! ルヴィア! しっかりしろっ!!」
サタンの放つ圧倒的な悪意と魔力に呆然としていた二人を、叱咤する。
虚ろだった二人の瞳に、力が戻るのが見て取れた。
「士郎」
「シェロ」
よし、まだ意識はしっかりしてるな。これなら……
「アルトリア! この軍勢を相手に戦いを挑むのは無理だ! 俺が突破口を開く、悪いが凛とルヴィアさんをこの書庫の出口まで護ってくれ!」
「なっ! 何を言うのです、シロウ!! それこそ役目が逆だ!」
「だめよ、士郎! これはわたしの責任なんだから!」
「そうですわ! リン、なんとか悪魔の逆送還を試みますわよ!」
「……皆聞いてくれ。悪魔の逆送還なんて準備無しに短時間で不可能だろ。それにさ、この規模の数を相手にするなら、同じ規模の数で迎え撃たなきゃいけない。それは、アルトリアだって良く解かっているだろ」
「クッ! ですが……」
「でも、士郎!」
「シェロ……」
それに、今は言い争っている暇もないんだ。
結界の外側には、蟻の這い出る隙間もないほどに悪魔の軍勢がその姿を現しつつある。
「大丈夫だよ、先に出口まで行っててくれ。必ず俺も追いつくから!」
そう、俺だってこんな所で死ぬつもりはないさ!
――
絶対に諦めないぞ! 必ず活路を切り開いてやる!
そっちが悪魔の軍勢なら、こっちは無限の剣の軍勢だ!
Fate / in the world
【ゼルレッチ 後編】 -- 最強の魔術使いの継承者 --
――
無窮なる紅い丘、担い手のない剣だけが無限に突き刺さるこの風景に。
「行くぞ、悪魔の王! 軍勢の手数は十分……か……あれ?」
キッと睨んだ視線の先、悪魔の王サタンがいるはずのその場所には、紅い丘以外何もいなかった……なんでさ?
「あのさ……悪魔、何処にいったんだ?」
くるりと振り返り、一番属性が近そうな人に聞いてみる。
「わたしに解かる訳ないでしょうがっ!」
はい、そうですね……ごめんなさい。
「もしかして
「いや、それはないぞ。確実に悪魔を取り込む範囲で
うん、それは間違いない。
現実の世界を侵食する境界となる炎は、確実に全ての悪魔を取り込んでいたのだから。
「それにしても……一体も残らず消えてしまうなどという事が……凛、なにか考えられる要因はないのですか?」
「って言われてもねぇ……そもそも此処って大師父の作った空間でしょ。まあ見た目に判ると思うんだけど、この空間自体が第二魔法を利用して創られてると思うのよ。そんな場所で
あ……そうだった……此処は普通の空間じゃなかったんだ。
そのせいかな?
そう思い改めて周りを見渡すと、やはり悪魔の姿はどこにも見当たらず、ただ墓標のように突き立つ無限の剣と、後は俺たち、そして中空でくるくると回りながら浮かんでいる真黒な立方体だけだ。
ん? 真黒?
「なあ、その箱……なんで真黒に戻ってるんだ?」
「「「え?」」」
俺が指差すと、全員がその先に浮かんでいる黒一色に戻った箱へと視線を向ける。
と、同時に箱の回転がぴたりと止まり、きらきらと七色の光を放ちだした。
「な、何よこれ!」
「リン、もしやこれは……"開いた"のでは?」
「ッ?! シ、シロウ!! シロウの体が光っています!!」
アルトリアの驚愕の声に、自分の体を見やると……
「うわっ?! な、な、なんでさっ!!」
「え? 士郎!!」
「シェロ!!」
「シロウ!!」
俺の名前を呼びながら、慌てて駆けて来る三人の姿が、最後の光景だった。
圧倒的な光量に視界を全て奪われ、その直後、足元の感覚がなくなったかと思えば、急転直下に落下する感覚だけが残った。
『ようこそ、錬鉄の英雄よ』
意識がブラックアウトしていくなか、最後にそんな声が聞こえた気がした。
――カッチ、カッチ、カッチ、カッチ
ん? なんだ、この音は?
まるで振り子時計の音みたいだけど……
――カッチ、カッチ、カッチ、カッチ
どこだここは? 真暗でよくわからないな……
どうやら気を失っていたみたいだな。
起き上がりながら周りを見渡すが、真暗で何も見えない。
――カッチ、カッチ、カッチ、カッチ
そんな中、さっきから響く振り子時計の音だけが聞こえてくる。
って、そうだっ! こんな所でのんびりしてる場合じゃなかった!
「凛! アルトリア! ルヴィアさん! みんな何処だぁっ!」
くそっ! あれからどうなったんだ? 俺はどれくらい気を失っていたんだ?
「慌てるな、みな無事だ」
「ッ?!」
不意に暗闇の先から、声が聞こえた。
「誰だっ!」
声の聞こえた方向へと走り出すと、暗闇のなかにぼぅっとした淡い明かりが視界に入ってきた。
誰かいる!
よく見ると、小さなランプに照らされた場所には、アンティーク調の椅子に腰掛けた老人が一人座っていた。
「ふむ、まさかお主がここへ来るとは思わなかったが……その確率が無い訳でもなかったな」
鷲の様な鋭い眼光の赤い瞳で俺を一瞥したその老人は、思いのほかがっしりとした体格で、真白な顎鬚を蓄えている。
「あんたは誰だ? ここは何処なんだ? みんなは」
周囲を見渡しながら警戒のレベルを上げる。
湧き出る疑問が自然と口をついたその言葉を遮る様に、老人が言葉を被せて来る。
「まったく、少し落ち着け! お主も魔術師ならば己で状況把握を試みろ!」
威厳を持った一喝に、思わず声が出なくなる。
「……」
確か……最後の悪魔、サタンが召喚された直後、凄い数の悪魔の軍勢が呼び出されたんだよな。
それで俺は、皆を逃がす為に
その直後、あの箱と俺の体が七色に光りだして……気がつけば、ここで倒れていたんだ。
どう考えても、原因はあの箱だよなぁ。あれが七色に光りだしたのが……って、ちょっと待て!
つまり、なんだ、これってもしかして、"正解"って事なのか?
意図しないまま"正解"を引き当てた俺が、あの箱のせいでこの場所に飛ばされたんだとしたら、目の前にいるこの厳つい老人の正体は一つじゃないか。
「あの……もしかして、大師父ですか?」
「左様、わしはキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。お主達が大師父と呼ぶ者だ」
いや、びっくりした。
びっくりしすぎて、声が出ないくらいびっくりした。
何言ってるんだ俺は……
「何を驚いて居るのだ? むしろ驚かされたのはわしのほうだぞ。あの箱はな、異世界の魔力を流す事で対象を此処へ強制転移させるゲートとなるのだ。もっとも正規の手順で言えば、第二の基礎をもって平行世界への孔を開け、そこの魔力を流すことでゲートを開ける。これが本来の"正解"なのだがな……まさか
ええ、やった本人が一番びっくりしてますから……
って、そんな事よりも!
「そうだ! そんな事より、凛は! アルトリアは! ルヴィアさんは無事ですか! 俺、戻らないとっ!」
もし、書庫に悪魔が残っていたら大変なことになる。
「落ち着けと言っておる。トオサカもエーデルフェルトも騎士王も皆無事だ。そもそも、一体目の悪魔召喚を見た時点で"不正解"と気付かない事が信じられん。よもや六体目まで呼び出すような者がおるとはな。まさかお主達、アレに勝つつもりでいたのか? まあ、そんな事はどうでもよい。あの悪魔召喚は不出来な弟子へのお仕置きみたいなものでな、お主が"正解"を引いた瞬間に全て霧散しておる」
良かった、皆無事なのか。
まあ、普通は一体目で止めるよなぁ……普通じゃないから困るんだけどな。
「皆が無事なのは解りました。それで、俺は此処で何をすればいいんですか?」
「ふむ……わしもまさかお主が来るとは思ってもみなかった。恐らく、トオサカかエーデルフェルトが来るだろうと思っておったのだが……まあ良い、お主少しの間わしの話し相手になれ」
は? 何言ってんだ、この爺さん……
「話って、何の話ですか?」
「うむ、先ほどお主は、空間転移を利用したゲートの解説を"そんな事"の一言で片付けたな。あれは、普通あり得ん。魔術師ならばのどから手が出るほどに知りたい知識だからな」
なんだ、そんな事か。
「俺は魔術師じゃない、魔術使いだ」
「それは解っておる。数多ある平行世界に存在する、様々な可能性の"エミヤ・シロウ"を見てきておるからな。そこでお主に聞きたいのだが……この世界の"エミヤ・シロウ"は何を目指す?」
それは……
「正義の味方だ」
俺がそう答えた瞬間、大師父の眼光がより鋭いものへと変貌した。
「そのような詭弁は良い。お主自身が良く理解しておるだろう? その言葉の曖昧さをな。さて、お主の本当の理想とは、目指すべき物とは何なのだ?」
俺の理想……俺の目指すべきもの……
ああ、そうだな。
もうずっと前から俺は、切嗣が目指した"正義の味方"とは別の理想を目指していた。
全てを救うなんて言えるほど、俺に力が無い事も良く解かっているさ。
だから、せめて……
「せめて、俺の大切な人たちや俺の目に映る人たちが涙しなくていいように、助けたい。そしてできる事ならば、この手で掬える人の数を一人ずつでも増やして行きたい。今はまだ、遠く届かない理想だとしても、いつか叶うと信じて俺はそれを目指す」
俺の答えを聞き、大師父の眉根がピクリと動いた。
「ほぅ……お主は"異端"よな。あの第五次聖杯戦争を生き抜いた"エミヤ・シロウ"は例外無く、全てを救う理想を目指し、己にその力を求めたものだが……」
「確かに、それが叶えば素晴らしい理想だろうな。けど、俺自身の手に余る力を求めてまで願う理想なんて、それはもう理想じゃない。妄執だ」
きっとそれは、凛やアルトリアを裏切ることになるんだと、俺は思う。
「なるほど、それがお主の理か。だがの、それでもまだ歪よな。その理の中心にお主自身が座っておらん。お主以外の誰かのために、その理を貫こうとしておる」
「ああ、けど間違いじゃないさ。俺がこの世で一番大切に思う、宝石のように眩しくて尊い者のためだ。その為なら、俺はこれからもがんばって行ける!」
相手が魔法使いだろうと、遠坂の祖であろうと、この思いだけは曲げられない。
大師父の赤い目を見返しながら、俺は俺の存在を掛けて宣言した。
「よく解った。中々に有意義な話であったな。うむ、そろそろお主をあちらに戻してやらんと、後が大変そうだのお」
そう言った大師父が懐から取り出したものは、刀身が宝石のような材質で作られた短剣だった。
条件反射のように、その短剣を解析した俺は……
――創造の理念、鑑定不可能
――基本となる骨子、想定不可能
――構成された材質、複製不可能
――製作に及ぶ技術、模倣不可能
――成長に至る経験、共感不可能
――蓄積された年月、再現不可能
まるで異星系の物質を解析でもしたかのごとく、出鱈目な情報に全神経を翻弄された。
「ぐぁ……くっ……」
「無理をするな、お主ではまだ届かぬ。トオサカとエーデルフェルトの当代に宜しくな。縁があればお主ともまた会うこともあろう」
大師父の言葉を聞きながら、俺の意識は再びブラックアウトしていった。
「……う!」
ん? 何か声が聞こえた気がする。
「……ろう!」
誰かが叫んでるような声だ。
「士郎っ!!」
「シロウ!!」
「シェロ!!」
正面と左右から名前を呼ばれ、急激に意識が表層へと浮上した。
ぱちりと目蓋を開けると、超至近距離に凛の顔のどアップ!
「うわぁぁっ!!」
慌ててあげた両手にぷにゅんと柔らかい感触が……
「シ、シ、シロウ! 何をするのですか!」
「シ、シェロ! お止めになって! こんな場所で破廉恥ですわ!」
あ……ちっちゃ、でっか……
「人が心配して、ずっと膝枕してたっていうのに……起き抜け早々に他の女の胸を触るなんて……いい度胸ね? 衛宮くん?」
右手を握り締めながら、その拳をプルプルと震わせ、凛が呟く。
大師父、まだあくまが残ってるんですけど? あかいやつが……
「いや、ちょ、ちょっと待て、凛! これは事故だ! 誓って他意はないぞ!」
「ほぅ……"事故"で胸を弄ばれる乙女の気持ち、その体に直接教えて差し上げましょうか? シロウ?」
「そうですわね……由緒あるエーデルフェルト当主の胸、安くはありませんのよ? シェロ?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくてだな……あ、アルトリア、風王結界構えて何するつもりさ! ルヴィアさん、それ確実に"フィンの一撃"撃つつもりでしょ! 凛! 魔術刻印光らせるのはやめろぉ!」
そこから小一時間ほど、俺の記憶は無い。
気がつくと、遠坂邸のリビングの床に寝ていた。
お前ら……酷くないか?
簡単な昼食を済ませた後、俺達は事の顛末を整理することとなった。
俺が
それと同時に
凛たちは俺の消息を探すべく、必死になってゲートを調べたらしいのだが、ものの一分もしないうちに、背後でドサリという音とともに俺が気を失った状態で現れたらしい。
きっと、向こうとこちらでは時間の流れが違うんだろうな。
まあ、その後の事は俺自身があまり思い出したくないので省略……
「で、結局士郎は何処に飛ばされてたのよ?」
う〜ん、何処って言われてもなぁ……あれ何処だったんだ?
「正直、あの場所が何処だったのか、俺にもよく解らないんだ。でも、大師父に会ったぞ」
「「「は?」」」
あ、三人とも固まったな。
「いや、だから、魔法使いのキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグに会ったんだ」
「……シェロ、速やかにわたくしの質問にお答え下されば半殺しで、止めて差し上げますわ。貴方は、本当に本物の大師父にお会いになったのですか?」
これ、答えると半殺しになるんだよなぁ? やだなぁ……
「シロウ、早く答えたほうが良いですよ。私にはこの二人を止める自信はありません」
あ、アルトリア、見捨てたな!
お前さっきの”事故”の事、まだ怒ってるだろ!
「え〜っと、本物だったと思うぞ。宝石剣も持ってたし」
「「なぁぁぁぁっ!!」」
あ、凛とルヴィアさんの頭から煙? 大丈夫か、お前ら……
「し、士郎? 落ち着いて答えなさい。それで、あんたは大師父と何をしてきたのかしら?」
うお! 目が! 凛の目が血走ってるぞ!
って言うか、お前が落ち着けよ、凛。
「何って……俺の理想についてとか、まあ世間話みたいなもんかなぁ。あ、凛とルヴィアさんによろしくって言ってたぞ」
うん、忘れるとこだった。
こういう事は、ちゃんと伝えないとダメだからな。
「「……はぁ」」
なんだよ、二人してこれ見よがしにため息なんか……
「シロウ、私から一つお聞きしたい事が」
「ん? なんだ? アルトリア」
「貴方は……ほんっとうにお馬鹿なのですね? あ、答えなくて結構です。確定ですから」
そんな酷いことを良いながら、アルトリアが俺からスッと距離を置く。
「士郎……」
「シェロ……」
「ん? どうしたんだ? 凛もルヴィアさんも?」
あれ? なんで二人とも魔術刻印を光らせてるんだ?
ちょ、ちょっと……
「「この……へっぽこ魔術使い!!」」
今までで一番きついガンドを左右から撃ち込まれた俺は、そこから更に一時間記憶が無い。
昏倒する直前、宝石剣を解析したことを伝え忘れたこととか気になったのだけれど、話す気力なんてあるわけもなく。
今日一日で、何回気絶したんだ俺?
そんな、ともすれば涙しそうな身の上を振り返りながら、意識を手放した。
冬木滞在最後の日がこれってのは勘弁して欲しいなぁ。
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