Fate / in the world

019 「ラインの黄金」 後編


『ミスター・エミヤ、緊急事態だ。アインツベルンが壊滅したぞ』

 カミンスキー先生の電話を受けてから約三十分後、俺と凛とアルトリアの三人は、時計塔魔術戦闘科教官室へと到着した。
 俺達がカミンスキー先生の教官室へと入ると、既に呼び出されていたらしいミス・エーデルフェルトが、深刻な表情でカミンスキー先生と話しこんでいた。

「来たか、まあとりあえず座ってくれ。詳しい事情を説明したいのでな」

 先生の言葉に促され、俺たちは教官室に設置されている簡素なソファーへと腰掛けた。

「今から四時間ほど前の事だ。私は協会上層部のある教授に呼び出され、アインツベルンから協会宛に使い魔が送り込まれたという話を聞かされた。もっともその使い魔は、所謂メッセンジャーだったらしいのだが、問題なのはその使い魔が運んできたメッセージの内容だ。それは"現在アインツベルンは、正体不明の集団に襲撃を受けている。協会に助力を求めたい"という物だったらしい」

 無表情に淡々と話される内容は、にわかに信じがたいものだ。

「そんな……あのアインツベルンが自ら協会に助力を求めるなんて、信じられないわ……」

 凛の言うとおりだ。
 奴らは、外界との交流を途絶した集団だった筈だ。

「うむ、ミス・トオサカの言うように、彼らが協会との交流を絶って久しいのでな。このメッセージを受取った上層部の連中も、信じられないというのが結論だったのだが……」

「状況が変わった、そういう事ですのね?」

 鋭い表情で確認を取るミス・エーデルフェルト。

「その通りだ。現在、いかなる手段を用いても、アインツベルンとの連絡を取ることが出来ない状況にある。加えて、ドイツに在住していた協会所属の魔術師に確認を要請してから既に三時間半。その魔術師とも連絡が途絶えている」

「「「「……」」」」

 いや、確かにアインツベルンの魔術は戦闘向きじゃない事は事実なんだろう。
 けど、あの森と山に囲まれた天然の要塞のような城は、多重に張られた結界と戦闘型ホムンクルスの集団に護られてるんだ。
 そう簡単に壊滅させるなんて事が出来るとは思えないんだけどな。
 教官室の重たい空気を破ったのは、カミンスキー先生だった。

「そこでミス・エーデルフェルトに協会上層部からの正式な依頼があるのだが……」

「ミス・カミンスキー、大体の想像はつきますわよ。恐らく、アインツベルンの地へと赴き状況の確認と事態の収拾をわたくしに依頼する、その対価として今回の査問自体を取り消す。こんなところではないのかしら?」

「ふむ、流石に話が早くて助かる、ミス・エーデルフェルト。つけ加えるならば、もしミス・エーデルフェルトが受託した場合は、私がその補佐として同行する事となる。逆に、もし貴女がこれを断った場合には……」

「エーデルフェルト家は協会内において、その立場が危うくなる。そういう事ですわね? ええ、よろしくてよ、ミス・カミンスキー。先の事件の責任は明らかにエーデルフェルトにございますもの。現当主としてその依頼、受けさせていただきますわ」

 凛とした表情でカミンスキー先生へと宣言するミス・エーデルフェルト。
 二人のやり取りは理解出来るけど……納得したくはない話だな。

「了解した、ミス・エーデルフェルト。微力ながら私も助力を惜しまないつもりだ。さて……お待たせしたな、ミス・トオサカ。これは、はっきり言ってしまえば貴女達には関係の無いことだ。しかし、その相手がアインツベルンである以上、貴女達には報せておく必要があるだろうと判断した」

 静かにカミンスキー先生の言葉を聞いていた凛は、スッと顔を上げ、その視線をカミンスキー先生へと向ける。

「ええ、事態が動く前に報せていただいた事、感謝しますわ、ミス・カミンスキー。現在わたしは、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと共同研究の契約を締結しています。つまり、彼女の身に危険が及ぶ可能性が存在するということは、潜在的にわたしが不利益を被る可能性があることを意味します。よって、わたしはわたしの利益を確保するために、最大限の力をもってこれを排除したいと考えます」

 な、な、なんだ? 遠まわしすぎてよく解かんないぞ、凛?
 
「あのなぁ、凛。要はミス・エーデルフェルトを助けるってことなんだろ? 相変わらずお前の親切って解かりにくいよな?」

「う、うるさいわね! わたしにはわたしの矜持ってもんがあるのよ! でもルヴィア、今回の件は全部あなたの持ち出しだからね。そこんとこ忘れないように!」

 こういうのも親切の押し売りって言うのだろうか?

「ええ、もちろんですわ、リン。ご助力いただけること、エーデルフェルトとして感謝いたします」

「話はまとまったようだな。それでは早速だが翌朝の便でドイツへと向かう、各自準備を怠らぬように」

 カミンスキー先生の言葉でその場は解散となり、俺たちはフラットへと帰宅した。

 アインツベルン……
 まさか、こんな形でもう一度あの城へ行く事になるなんてな。
 深い森の奥、険しい山の頂に建てられた城を思い返しながら、俺は眠りに着いた。





Fate / in the world
【ラインの黄金 後編】 -- 最強の魔術使いの継承者 --





 翌日、早朝の便でヒースローを発った俺達五人は、約二時間のフライトでフランクフルト国際空港へと到着した。
 そこからSバーンで三十分ほど移動し、ダルムシュタットの町の前回来た時と同じホテルにチェックインをしたのは、正午を少し過ぎた頃だった。
 ホテル内のレストランで昼食をとりながら、俺達は今後の行動方針と作戦会議を行う事にした。

「各自、食事を取りながら聞いてくれれば良い。現在の時刻が12:30だが、諸々の準備や手配等でここを出発できるのは、どんなに急いでも15:00が最速だ。つまり、順調に進んだと仮定しても、アインツベルンの城へと到着するのは18:00を過ぎる。真冬の今、雪山に夜到着することは出来れば避けたいところなのだが、皆の意見を聞かせて欲しい」

 確かにあの城が建っている場所は、この季節だと雪で閉ざされているんだろうな。
 俺以外全員女性のチーム編成で夜の雪山へと入るのはリスクが高い。
 けど……

「これからの山の天候と現時点での雪の状況は判らないのか? カミンスキー先生?」

「ふむ、良い質問だな、ミスター・エミヤ。天候に関してはこれから三日ほど崩れる心配は無さそうだ。また、ここ数日の間も良い天候が続いていたために、歩けない程の積雪ではないと予想される」

 つまり、状況的には行けるって事か。
 あとはチーム編成のリスクをどう考えるかだけなんだけど……

「士郎、あんた考えてる事が顔に出てるわよ……」

「正直過ぎますね、シロウは。しかも、その考え方は私達に対して失礼ですよ?」

「わたくし達の心配はなさらずとも結構ですのよ、シェロ。論理的な思考のみで考えれば良いのです」

「フッ……そういう事だ、ミスター・エミヤ。まあ、結論は出たようなものだがな」

「はぁ……了解だ。それじゃあ俺の考えを言わせてもらう。ここでロスする時間が惜しい。動くべき時に動かないで、後で悔やむような事は避けたいんだ」

 そんなに顔にでてたんだろうか?
 でもな、そう言われたって女性ばっかりなんだから、心配するなってほうが無理だぞ?

「私もミスター・エミヤの意見に賛成だ。他の意見が無ければ15:00を持ってここを出発し、アインツベルンの城を目指す事とするが、よろしいか?」

 カミンスキー先生の問いかけに、全員が頷く。
 こうなったら、リスクは俺がカバーしてやるさ。

「それでは、15:00を状況開始時刻とさせていただく。ランドビークルにてアインツベルンの森の入口まで移動した後、徒歩にて山頂の城を目指すわけだが、先頭をミス・アルトリア、中盤にミス・トオサカとミス・エーデルフェルト、殿を私が勤める形で行軍する。恐らく、結界などは破られている可能性もあるが、ミス・アルトリアは十分に注意の上進行していただきたい」

「了解しました」

 え〜っと、一応言っといた方が良いのかな? やっぱり……

「あの〜、俺の名前が編成リストに無いんですけど……」

「うむ、前回と同じだ。どうせ事が起これば君は言う事を聞かんのだから、好きなところで自由に戦えばよろしい」

「……はい」

 ある意味、かなり酷いことを言われてるような気もするんだけど……まあいいか。

「戦闘型ホムンクルスの存在はあると考えた方が無難だな。まあ、このチームメンバーならば、そうそう心配はいらないだろうが……一つだけ忠告しておくぞ。ミスター・エミヤ、無駄と知りながら言うが無茶をするな! よろしいか?」

「よろしいわね?」

「よろしいですね?」

「よろしいですわね?」

「はい、善処します……」

 これ……作戦会議って名前のイジメだな……

「ふむ、城内部の状況は全くつかめていないのでな。適時状況判断の上、その場で指示させてもらう。特に質問などが無ければ15:00まで解散とする。各自防寒対策だけは怠らぬようにな」

 皆が気を引き締め、これからの事へと思いを馳せる。
 目的がアインツベルンの現状把握と事態の収拾だって事は変わらない。
 けど、状況次第であのアインツベルンを襲撃した奴らか、もしくはアインツベルン自体か、最悪の場合はその両方と戦闘になる可能性だってあるんだ。
 準備は念を入れてするに越した事はない。

「お客様、お茶の御代わりをお持ちいたしました」

 ふと近づいてきたレストランの店員さんが良い香りのお茶を給してくれる。

「だ、だんけしぇ〜ん」

「「「「はぁ……」」」」

 俺のドイツ語は未だにダメだったらしい。







 予定通り15:00にホテルを出発した俺たちは、手配したランドビークルに乗り込み、アインツベルンの森の入口へと到着した。
 あたり一面は銀世界となっており、積雪は十センチ程といった状況だ。
 この後、頂上に向かって進むにつれて、雪の量は増していくんだろう。

「それでは、予定通りのフォーメーションで進むぞ。ミスター・エミヤ、とりあえず君はミス・アルトリアと共に、先頭を行ってくれ。君の異常探知能力は中々のものだしな」

「了解だ、よろしくなアルトリア」

「はい、慎重に進みましょう、シロウ」

 アルトリアと頷きあいながら、雪の森へと分け入っていく。
 前回と同じ道を通っているはずなのに、一面の雪景色のためか全く違った場所に見えてくる。
 道を間違えず、妨害さえなければ、恐らく二時間半程でアインツベルンの城へと到着するはずだ。

 これと言った妨害もないまま三十分程歩いた時、目の前に雪に埋もれかけた真鍮色の像が目に入った。
 見つけた……
 俺は思わず足を止め、真鍮に鈍く光る像を見つめた。

「士郎……」

「シロウ……」

 凛とアルトリアの心配げな声が聞こえる。

「皆、すまないけど少しだけ時間をもらうぞ」

 そう言って、ゆっくりと像の前に進み、降り積もった雪を丁寧にはらいおとす。

「その像はシェロと何か関係がございますの?」

 そう言えば、ミス・エーデルフェルトはあの時いなかったんだよな。

「ん? この人はさ、前回ここに来たときに俺が救えなかった人なんだ」

 自分自身へと言い聞かせるように答えながら、ここへ来る前にホテルで用意してもらった花を添える。

「俺はまだ未熟なままです。でも理想を追いかけることだけは諦めません。貴女のように涙する人を、一人でも救えるようにこれからもがんばります。どうか安らかに、フラウ・ヘルガ・ケンプファー」

 誓いの言葉と共に、黙祷を捧げた。
 凛とアルトリア、それにカミンスキー先生やミス・エーデルフェルトまでもが黙祷を捧げてくれた。
 これで一つ、やらなければいけなかった事が出来たな。

「ごめん、時間とらせちまった。それじゃ出発しよう」

 気を取り直し、皆に感謝の気持ちを述べてから再度頂上を目指して、雪の森を進みだした。







 それは再出発してからものの十分もしないうちに、俺たちの視界へと飛び込んできた。
 一面の雪景色と、そこに広がる夥しい数の戦闘型ホムンクルスの死体。
 いや、違うな……戦闘型ホムンクルスだったモノの残骸か……
 ほとんど、原型すら留めないほどに食い破られ、貪りつくされた肉片が白一色だった世界を、残酷に彩っている。

「これは……何ですの? 一体何と戦えば、これほど無残な姿になると言うのですか?」

 震える声で呟くミス・エーデルフェルト。
 だが、全く違う意味で俺と凛、そしてアルトリアは声が出ない。
 知っている……俺達は見たことがあるんだ、これに似た光景を。
 それは、俺が絶対に忘れてはいけない記憶。

「……先を急ぐぞ。冬の山は日暮れが早い。夜までに城へたどり着きたいのでな」

「「「「……」」」」

 カミンスキー先生の冷静な判断に、俺達は再度進みだす。

「士郎、アルトリア……きっと同じ事を考えていると思うんだけど、その覚悟だけはしておいた方がいいかもしれないわ」

 背中越しに凛が声を掛けてくる。

「ああ、了解だ」

「はい、わかっています」

 恐らく、俺たちの予想は間違っていないだろう。

「ルヴィア、それからミス・カミンスキー。これはわたしの……いえ、わたし達の予想なんだけど、この先の城には恐らく死徒かそれに類するモノがいるはずよ。そのつもりでいて頂戴ね」

 あくまで冷静に、知りえた事実から導き出される予想を告げる魔術師としての凛の言葉。

「リン、貴女はあれが死徒の仕業だと仰るのですか? もちろん死徒と戦えばあのように無残な結果となる事はあるでしょう。ですが、根拠がそれだけではいささか推論として弱くはありませんこと?」

「そうね……ルヴィアの言うとおりだわ。でもね、わたし達は日本で死徒がらみの事件に遭遇しているのよ。その時の犠牲者が今の光景と酷似していたわ……」

「ふむ、可能性として考慮しておく。なんにせよアインツベルンの戦闘型ホムンクルスを、ああも無残に倒す事ができる奴らがいるかもしれんということに間違いはなかろう。警戒をするに越した事はないのでな」

 判断としてそれは正解だと思う。
 けど、俺はほとんど確信めいたものを感じてるんだ。
 忘れもしない、あの時と同じ、奴らの嫌な臭いがだんだんと強くなっているのだから。







 結局アインツベルンの城へと辿り着いたのは18:00を少し過ぎた頃だった。
 辺りは夜の闇が支配し、空には月が顔を出している。
 そして……あの荘厳な雰囲気を持っていた豪奢な城は、見るも無残にあちこちが崩れかけていた。
 それはまるで、ここで行われた激しい戦闘を物語るように……
 本来ならば城の正面を固く閉ざしていたはずの重々しい城門も、今は跡形もなく吹き飛ばされたままだ。

「ミス・アルトリアは特に前方の警戒を厳に、後方は私が担当する、残りのものは出来るだけ広範囲に警戒を行ってくれ。それでは城内へと侵入するぞ」

 正面の城門を潜り抜け、前回と同じように回廊へと進んでいく。
 豪華な調度品や美術品に彩られていた回廊も、痛みが酷く荒れ果てている。
 所々が崩れているために気密性の落ちた城内には、冷たい外気が流れ込んでくる。
 灯りもほとんど無く、夜の闇に静まり返った回廊は俺たちの足音だけが響いている。
 だけど……
 その静けさとは裏腹に、さっきから俺の本能は、ひっきりなしに警鐘を鳴らしていた。
 居る……奴らがこの先に居るのは間違いない。
 そう思った瞬間、俺の脳裏に藤ねぇの最後の姿が思い描かれ、光となって消えていった。

「――投影(トレース)開始(オン)

 頭の中に並んだ二十七の撃鉄を一斉に叩きつける。

「――工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)

 魔術戦闘科の講義で見た、教会の代行者(エクスキューター)達が使うという黒鍵を十二本、投影直前で停止(フリーズ)させる。

「ちょっと、士郎?」

「シェロ、どうしたのです?」

 俺が突然詠唱を行った事に怪訝な物言いで問いかけてくる凛とミス・エーデルフェルト。
 それに視線で前方を指しながら答える。

「居るぞ、この先だ」

「はい、私も気配を感じます。それも数体が潜んでいる」

 武装したアルトリアが皆に注意を促す。
 俺とアルトリアの反応に、皆の緊張感が一気にピークへと高まるのがわかる。
 俺達全員の視線が前方の闇を捕らえたその時、

「コレは、魔術師のにおいダナぁ。ゲハハハハ、ちょうどイイゾ、人形ドモの血は飽き飽きしてイタところダカラなぁ」

「それもオンナだ。オンナのニオイがスルぞ、イッヒャッヒャッヒャッ」

 恐らく悪魔の薬で作り出されたのだろう死徒モドキどもの、下卑た哂いと嘲笑の声が響いてきた。
 そして、闇から姿を現したのは四体。
 冬木の時と同じように、能力としては死徒のそれに近いものを持っているのだろうが、その姿は醜く崩れている。
 だからきっと、その姿と嘲りが俺の記憶の琴線に触れたんだろう。

「もう何も喋るな、お前たちはここで逝け――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)!!」

 詠唱と同時に四体の死徒へと右手を突き出し、一斉投影した十二の黒鍵を撃ち出す。

――ダンダンダンダンダンダンッ!

 突然中空に出現した黒鍵に対応できなかった死徒達は、爆撃じみた連続投射に貫かれていく。
 そして次の瞬間、紅蓮の炎が巻き起こり、一瞬にして四体の死徒を焼き尽くしていった。

「ねえ衛宮くん? 出発前の作戦会議で無茶をするなって言われなかったかしら?」

「あ……」

 完全に頭の中から飛んじゃってたなぁ……

「火葬式典の刻呪された黒鍵を十二本も連続投影ですって? シェロ、貴方は御バカさんなのですね?」

「う……」

 人を罵倒する時も上品なんですね? かえって堪えるけど……

「シロウを張り倒したいというこの気持ちを抑えるのに、多大な労力を要しました……」

「ぬ……」

 それは拙いぞ、アルトリア。俺、死ぬぞ? 確実に……

「もう良い……君が馬鹿なのは判っていたからな、私は見なかった事にすると決めたのだ。さて、先を急ぐぞ!」

 ポッツーンと置いてけぼりを食いながら、スタスタと回廊を進んでいく女性陣を見送る。
 いやいや、見送っちゃダメじゃないか、俺!
 慌てて走り出し、物凄く肩身の狭い思いをしながら付き従うように歩いていく。







 死徒による数回の襲撃を受けながらも、その悉くを撃退し、俺達はアインツベルン城の中央部となる大聖堂の前へとたどり着いた。
 そこは幾重にも重ねられた多重結界に覆われていた。

「これじゃあ、ちょっとやそっとじゃ入り込めないでしょうね」

「ええ、それにしても、見事な結界ですわね。さすがアインツベルンと言ったところでですわ」

「ほぼ、大方の死徒は始末したはずだ。ミス・アルトリア、結界を破壊していただけるかな?」

「はい、了解しました」

 カミンスキー先生の言葉に応じて、アルトリアが結界領域へとその手を伸ばしていく。

――バチンッ!

 という音と共に、アルトリアの体に一瞬紫電のようなものが走った。

「クッ!」

「大丈夫か?! アルトリア!」

 顔をしかめるアルトリアに思わず駆け寄る。

「大丈夫です、シロウ。恐らく攻性防壁の類でしょうか。解呪した瞬間にこちらを攻撃してきましたが、私の対魔力が勝ったようですので」

「そ、そっか、大事無くてよかった」

 アルトリアの様子に、ほぅと肺に溜まった息を吐き出す。
 だけど逆に考えると、ここまでの結界張らなければ、逃げ延びれなかったという事か?
 それとも、これだけの結界を張ってでも閉じ込めたい何かがこのなかにあるという事か?

「それでは、進入するぞ。アハト翁をはじめとしたアインツベルンの者たちが逃げ延びているのか、それ以外のものがいるのか、開けてみてのお楽しみだ」

 重々しい音と共に、開かれていく大聖堂の扉。
 荘厳な空気と停滞した雰囲気は以前ここへ来た時となんら変わりはしない。
 入口から真っ直ぐに伸びた通路の先、偽りの祭壇の前に、アインツベルンの長、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンが立っていた。
 ブツブツと呪を紡ぐかのように何かを口走りながら、狂気に満ちた相貌でこちらを睨みつけてくる。

「あの裏切り者の息子か……そうか、貴様があの汚らわしい死者どもを使わせ、我らを襲ったのだな……」

 目は血走り、口の端から小さな泡を吹くほどに、怨嗟のこもった言葉を吐きかけてくる。

「何を言ってるんだ? 俺達は協会の依頼にしたがってここに来ただけだ」

「フ、フフ、フフハハハハハハハハ……そうか、解かったぞ。我らアインツベルンより”黄金の指環”を奪っただけでは飽き足らず、その源たる”ラインの黄金”までも奪いに来たか。だが、させぬ! 貴様の思い通りにはさせぬぞぉ!!」

 一体アハト翁は何を言ってるんだ?
 黄金の指環? ラインの黄金?

「待ってくれ、アハト翁! 俺達は……」

「無駄よ士郎、もうとっくに正気を無くしてるわ……」

 凛が俺を止めようとしたその時、変化は劇的に、速やかに起こった。

「ぬおおぉぉぉぉっ!!」

 祭壇に祭られていた黄金に輝く鉄床のようなものにアハト翁が両手を突くと、その体は見る見るうちに光の粒子へと分解されていく。
 と、同時に竜巻のごとく巻き上がるエーテルの渦がアハト翁を包んでいく。

「くそ! 一体なにが起こってるんだ!」

「……ラインの黄金、奪われた指環……まさか! ニーベルングの呪!」

「リンの想像通りかもしれませんわよ! あのエーテルの奔流、形を成し始めていますわ!」

「となるとだ、あまり楽しい想像ではないが、この後お目にかかるのは……」

「「邪竜ファフニール!」」

 凛とミス・エーデルフェルトが声をそろえて答える。
 その時、アハト翁を中心に巻き起こっていたエーテルの渦が具現化し、はっきりとその形を現し始めた。

――グオオオオオオォォ!!

 全長にして十メートル以上、全身を青銅色の鱗に覆われ、その爪は鋼のように固く鋭い。
 背中に大きな羽を有したその姿は、どこから見ても神話に出てくる竜そのものだった。

「邪竜ファフニール? なんなんだそれは?」

「ヴォルスンガ・サガっていう神話に出てくる邪竜の事よ! ラインの黄金から作られたニーベルングの指環の呪で邪竜へと変えられた……って、今はそんな事説明してる暇なんてないわ! とにかくアレは、指環の呪で本物の竜に変えられたアハト翁よっ!」

 獰猛な啼き声をあげた邪竜ファフニールは、怨嗟に濁った黄色の目を俺たちへと向け、大きく息を吸い込んだ。

「いけないっ! ドランゴン・ブレスだ! 皆、下がってくださいっ!!」

 アルトリアの必死の警告に全員が大聖堂入口へと駆け戻る。

――ドシュッ!

 背後からの衝撃波のような圧迫感に振り返ると、邪竜が吐き出した巨大な火球が俺たちへと迫っていた。

「クッ! 風王結界(インビジブル・エア)開放(ブレイク)!!」

 きびすを返したアルトリアが風王結界(インビジブル・エア)を火球へと叩き込む。
 拙いぞ! あれは相殺できないかもしれない!
 そう思うと同時に、俺はアルトリアの前へと飛び出し、

I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)――"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"!!」

 無我夢中で"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"を展開した。
 高熱の塊を荒れ狂う暴風が押し返そうとするが、徐々に均衡は破られ、こちらへと火球がせまり来る。
 その圧力に負けないように、"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"へと更に魔力を注ぎ込む。
 行き場を無くした三つ巴の反発力は、全てを真下へと押しやった。
 大聖堂の床を突き破り、火球は地下へと消えていく。
 一番前にいた俺を道連れにして……

「シロウ!!」

 咄嗟に差し出されたアルトリアの手は、無情にも俺には届かなかった。







 どれほどの高さを落ちたのだろうか?
 辺りは、暗闇でよく見えない。
 したたかに背中を打ちつけたようでかなり痛むのだが、俺の下にぷにゅぷにゅとしたやわらかいものがあるらしく、大きな怪我はしていない。
 風王結界(インビジブル・エア)との相殺と、"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"との鬩ぎ合い、そして大聖堂の床を突き破った事で、そのエネルギーを放出しきったのか、火球は落下中に消滅した。

「って、こんな所でのんびりしてる場合じゃないぞ! 皆があぶない!」

 鈍っていた意識がはっきりとしたことで、今自分が置かれている状況を再確認した俺は、立ち上がろうとして柔らかな床に手を付いた。
 そこは……床なんかじゃなかった。
 廃棄場と呼ぶべきなのか? しかし、とてもそうは呼びたくなかった……
 うち捨てられた、夥しい数のホムンクルス達。
 暗闇に慣れてきた俺の目が捕らえたものは、製作途中で破棄されたホムンクルスの山だった。

「くそ!」

 頭ををよぎるのは、あの雪の妖精のようだった少女の姿。
 慌ててその場を離れ、目を凝らして周りを確認する。
 出入り口らしき扉が見えたその時、ヘッドセットから凛の声が飛び込んできた。

『士郎っ! 聞こえる?! 返事をして、士郎っ!!』

「凛! 俺だ! そっちは大丈夫か?」

『ッ?! 良かった……士郎、無事だったのね。って、こっちの事より、自分の心配をしなさいっ!!』

――キーーーン

 そうだね、鼓膜の心配したほうがいいかもしれないな。

「わかったから、大声出すんじゃない! でもまぁ、その様子だと皆無事みたいだな。俺もすぐに合流する! そっちの場所へ誘導してくれないか?」

 そう言いながら、出入り口の扉を開け、通路の奥に見えた登り階段を目指す。

『待ちなさい、士郎。今からいう事を良く聞きなさい。邪竜は大聖堂の屋根を突き破って、城の上空で旋回を続けているわ。わたし達は回廊を移動しながら身を隠して様子を伺ってるの。でもね、あんたは出てきちゃダメよ!』

「なんでさ?」

『アイツ、邪竜になってもアハト翁だった頃の魔術が使えるみたいなの。所謂、魔眼の類でこちらに問答無用で重圧をかけてくるのよ。対魔力の高いわたし達でも、かなり動きを制限されてしまうくらい強力なやつなんだから、士郎だと身動き一つ取れなくなるわよ』

 確かに俺の対魔力は一般人並だからなぁ……

「……魔眼の事は了解した。それよりも、さっきあの邪竜の事を神話に出てきたって言ったよな?」

『ええ、そうよ』

「だったら、その神話の中であの竜を倒した奴とか、倒した武器の名前とかわからないか?」

『それなら確か、英雄シグルスが魔剣・"太陽剣(グラム)"で邪竜ファフニールの心臓を突き刺して倒した筈よ。って、あんたまさか』

「いや、俺だと魔眼にやられちまうだろ? だったら俺が"太陽剣(グラム)"を投影するから、それをアルトリアに使ってもらうってのはどうだ?」

『あ、いけるかも……良いかもしれないわね、それ!』

『あの……申し訳ありません、シロウ、凛。私は"太陽剣(グラム)"を扱う事は出来ない』

 申し訳無さそうなアルトリアの声が、ヘッドセットから聞こえてきた。

『あっ! そっかアルトリアに"太陽剣(グラム)"は鬼門よね……竜殺しの魔剣なんだから』

 そうだった……アルトリアは竜の因子を持ってるんだったよな。

『はい……申し訳ありません……』

「いや、アルトリアが謝ることなんてないんだぞ。それより邪竜は今も城の上空に居るんだよな?」

『ええ、上空で旋回しながらわたし達を探してるわね』

「了解だ、後は俺が何とかする。ちょっと集中したいから一旦通信を切るぞ」

『え? ちょっと』

――プツッ

 今から俺がやる事は、かなり集中力が必要だからな。
 まあ、後で凛達に怒られるだろうけど、それも覚悟の上だ。
 ようやく、大聖堂の二階部分、ぐるりと壁に沿った回廊へとたどり着いた。
 よし! ここからなら、上空で旋回している邪竜を狙えるな。
 見上げれば、確かに上空を青銅色の竜が旋回している。

「ゆっくりしてる暇は無いな、行くぞ! ――投影開始(トレースオン)!」

――創造の理念を鑑定し――

――基本となる骨子を想定し――

――構成された材質を複製し――

――製作に及ぶ技術を模倣し――

――成長に至る経験に共感し――

――蓄積された年月を再現し――

――あらゆる工程を凌駕し尽くし――

――ここに幻想を結び武具と成す――

 ……はぁはぁ、出来た。
 リヒテンシュタイン公国の事件以来、ずっと本物を見てきたんだから必ず出来ると信じてた。
 でもこれだけじゃ、アイツを倒せない。
 それには、もう一つ作らないといけないものがある。

「――投影重装(トレースフラクタル)!」

 そして、俺の手には漆黒の洋弓と、かの英雄が竜殺しに使ったといわれる"太陽剣(グラム)"が具現化する。

「士郎!」

「シロウ!」

「シェロ!」

 大聖堂の一階部分に凛たちが戻ってきてしまった。
 特に、凛とアルトリアは驚愕の表情でこちらを見つめている。
 まいったな……あいつらに、あんな悲しそうな顔はさせたくないってのに。
 でも、この紅い外套を着てたんじゃ、そうなっちまうのかな……

――グオオオオォォ!!

 俺が使った魔力に気付いたのか、邪竜が濁った黄色い目をこちらに向けてきた。
 瞬間、邪竜の魔力がその視線を通して俺の体の自由を奪い取ろうとする。
 しかし! 外界からの干渉を、悉く遮断するこの聖骸布で作られた紅い外套が、俺を魔眼の拘束から護り抜いた。

「アインツベルン一千年の妄執もここで終りだ」

 俺の言葉に呼応するかのように、邪竜が大きく息を吸い込み始める。

「シロウ! ドランゴン・ブレスが来ます!」

 ああ、そんな事は俺がさせない!

I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)――"太陽剣(グラム)"!!」

 真名開放と共に打ち出された"太陽剣(グラム)"は、眩い純白の極光となって闇夜に浮かぶ邪竜の心臓を撃ち抜いた。

――グオオオオォォ!!

 それは無念の啼き声だったのか。
 瞬時に邪竜の体を構成していたエーテルは粒子へと分解され、邪竜ファフニールとなったユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは消滅した。

 これで、一つの歴史が潰えたのだろうか。
 そう思いながら、俺は限界を超えて酷使した魔術回路の激痛とともに意識を手放した。
 その時、

――更なる力を求めよ、錬鉄の英雄よ!

 どこかで聞いた事のあるような、そんな声が聞こえた気がした。






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