Fate / in the world

025 「疑惑」 前編


 上海での事件から一週間が経過し、ようやく私の魔力も普段並に回復した。
 これほど早く回復できたのは……まあ、士郎が頑張ってくれたおかげだったりする。

「って言うか、頑張り過ぎなのよ、あのケダモノ!」

 上海の最後の夜から連日何回も何回も……
 あれじゃ、逆にわたしの身がもたないわよ!

「どうかしましたか? 凛?」

「あ、ううん。な、何でもないわよ、アルトリア」

 五月も下旬に差し掛かろうかという倫敦、セント・ジョンズ・ウッドにあるこのフラットには、わたしとアルトリアの二人だけ。
 士郎は今日も魔術戦闘理論講座を受講するため、留守にしている。
 何故、魔術戦闘理論講座をこうも頻繁に受講しているのかと言うと……
 上海からの帰国時、別件があるということでミス・カミンスキーは別行動となった。
 その彼女が未だ帰国していないために、戦闘実践訓練は当分の間休講ということらしい。

 ルヴィアは帰国と共に、ハムステッドの自宅へと帰っていった。
 エーデルフェルト当主としての仕事が溜まっているとかで、今日には戻るらしいんだけど。
 あ、いや、戻るってどうなの?
 ……いつの間にか、ここに住み着いちゃったわね、ルヴィアの奴……

「ただいま戻りましたわ」

 来たわね……って言うか、やっぱり"戻りました"なのね。

「おかえりなさい、ルヴィアゼリッタ」

 アルトリアも"おかえり"なのね……まあ、いいけど……
 リビングで顔をつき合わせたルヴィアに声をかける。

「ねえルヴィア、少し話があるんだけど、工房まで付き合ってくれないかしら?」

 出来るだけ軽い感じで問いかける。

「ええ、構いませんわよ。わたくしもリンにお伺いしたいことがございましたし」

「そう、じゃあアルトリアも一緒に来てね」

「はい」

 そう言って、わたし達は三人で工房内へと入った。

「それで? どうかなさいましたの、リン? 藪から棒に?」

 小さなテーブルを挟んでわたしとルヴィアが対面して腰掛ける。
 わたしの斜め後ろにアルトリアが控える。

「……そうね……どうかしたか? と言われれば、その通りだわ。……今までわたし達を裏切っていたのはあなたね? ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト?」

 わたしの言葉と同時に、アルトリアがその手にした聖剣をルヴィアの目の前に突き付けた。





Fate / in the world
【疑惑 前編】 -- 紅い魔女の物語 --





「「「……」」」

 重い沈黙の時間が流れる中、ルヴィアがその静寂を破った。

「リン……冗談にしては、度が過ぎていますわよ?」

 完璧に表情を殺し、感情をも殺した声でわたしへと問いかける。
 やっぱり、悔しいけどこいつは一流の魔術師ね。

「そうね、冗談だとしたら、笑えないわね。でも……」

――カチャリ

 アルトリアが聖剣の切先を、さらにルヴィアへと近づけた。

「はぁ、判りましたわ……不本意ではありますが……貴女達を殺し、わたくしがリンに代わってシェロをお護り致しましょう」

 決断と共にその魔術刻印を煌々と輝かせ始めるルヴィア。

「凛、もうよろしいですね?」

 そう言いながら、殺気を霧散させるアルトリアに、

「ええ、十分よ。今の決意と言葉でね」

 溜息を一つ吐き出しながら、答えた。

「……何を仰っているのですか?」

 わたし達の態度の変わり様に驚くルヴィアが、怪訝な表情で訪ねてくる。
 そう、わたしが聞きたかったのは、さっきのルヴィアの言葉だった。

「ごめん、ルヴィア。あなたの真意と決意を試させてもらったの。本当にごめんなさい。心からお詫びするわ」

「申し訳ございません、ルヴィアゼリッタ。心ならずとも、貴女に剣を向けたこと。お詫びのしようもありません」

 わたしとアルトリアが揃って頭をさげると、

「訳を説明していただけますわね? リン、アルトリア?」

 ルヴィアは魔術刻印の励起を押さえながら、問いただしてきた。

「もちろんよ。というよりも、これからが話の本題なの。少し長くなるけどいいかしら?」

「構いませんわ」

 これからわたしが話すことは、100%信用が出来る相手にしか話すことが出来ない内容だったから。
 限りなく100%に近いルヴィアへの信用を、完全な100%にするためにこのお芝居はどうしても必要があった。
 さあ! 信用のできる仲間達に、全てを話すとしますか!







「まず、話の主題なんだけれど……士郎を"抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)"として"世界"と契約させるために暗躍している奴が存在する、という疑惑を持っているのよ……わたしは」

 この数カ月間、ずっと考え続けてきたことをルヴィアに提示した。

「突拍子も無いことですが……よろしいですわ、リン。貴女の推論をお聞かせください」

 少しの間黙考したルヴィアは、落ち着いた声でわたしに話の続きを促す。

「まず第五次聖杯戦争の事なんだけど……前にもルヴィアに話したとおり、わたしのサーヴァントだったアーチャーが士郎の未来の可能性だったって事は覚えてる?」

「もちろんですわ……その報われない生涯や、死後すら"抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)"として"世界"の奴隷となった経緯は、忘れようがございませんもの……」

 若干顔を伏せながら、辛い思い出を飲み込むように答えるルヴィア。

「じゃあ、聖杯戦争直後から、わたし達が倫敦へやって来るまでの間のことは?」

「それも覚えていますわ。シェロのお姉さまの事、アインツベルンのマスターだった義理の妹の事など、リンが説明してくださったではございませんか」

「そうね……それじゃ聞くけど、このたった一年にも満たない間に、士郎の周りであまりにも異常な事件が起こり過ぎていたとは思わないかしら?」

「ッ?! た、確かにリンの仰る通りですわね……ですが……」

 一瞬の驚きの後、すぐに思慮深い表情へと戻る。

「うん、偶然ということも有り得なくはない、って言うんでしょ? でもね、その事件のどれもが人の力ではどうしようもなくて、その結果が本当に悲惨で報われない事件ばかり頻発したのよ? まあ普通の人間だったら、どうしようもなかったんだと諦めるでしょうけど、士郎はそれが我慢出来ない人なのよ? これも偶然かしら?」

「……」

 わたしの問いかけに、ルヴィアが目を閉じて考えこむ。

「特に、お義姉さんの事件でね、その最後に士郎は"世界"からの契約を求める声を聞いたらしいのよ。それも……士郎の髪が真白になるほど心を穿つ事件のまさに直後、"世界"は士郎を契約させようとしたの……」

 思わず口の端を噛んでしまう。

「リン……貴女のお気持ちは良く判りますわ。けれど……それは、"世界"がシェロを求めた結果であって、貴女の言うように"誰か"の暗躍を示唆しているとは言えませんわ」

「ええ、ルヴィアの言うとおりよ。この件で確実に判ったことは、"世界"が士郎を"抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)"にしたがっているって事だけね。実際、この時は士郎が"世界"との契約を突っぱねたせいで、"抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)"にはならなくて済んだのよ。士郎が言うにはね、"凛とアルトリアを裏切るような真似は出来ない"って事が理由だったらしいわ」

 今、思い出しても背筋が寒くなる。
 あの時、一歩間違えれば士郎は"世界"と契約していたかもしれないんだから。

「シェロらしい理由ですわね。でも、リン? それこそ、"誰か"の存在を否定するものではございませんこと?」

「そう思えるわよね……だから、その頃はわたし達も、そんな奴の存在なんて疑いもしなかったわ。じゃあ、今度はわたし達が倫敦へと来てからの事なんだけれど……良く思い出してみて欲しいの。すべての事件が、一歩間違えれば結果として、わたしかアルトリア、もしくはその両方が士郎の側から居なくなってしまうような事件ばかりだったと思わないかしら?」

 再度目を閉じ、わたし達が倫敦に来てから今までの事を思い出し始めたルヴィアの顔色が変わるのに、そう時間はかからなかった。

「リン……」

「ね? そういう考えで今までの事件を思い返すと、士郎とわたし達を引き離そうとしている意図が良く見えてくるのよ。虚数空間に取り込まれた時、もしも士郎が空間に孔を開ける力がなかったらとしたら? リヒテンシュタイン公国の時、もしも士郎に並外れた回復力が無くて、わたし達だけで突入していたら? ジャック・ザ・リッパーの時、もしも士郎が野戦訓練から駆けつけていなかったら? ラーンスロット卿と闘ったとき、もしも士郎がアルトリアに"約束された小さな勝利(ミニカリバー)"を贈って居なかったら?」

「もう結構ですわ、リン……良く判りました。つまり、シェロを"抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)"とするために、貴女達が邪魔だと考え、ターゲットを切り替えたということですわね?」

「その通りよ。仮に"世界"が士郎との契約を欲していたとして、士郎自身に何らかの影響を及ぼすことは理解できるわ。でもね、それを目的として、具体的にターゲットを周りの人間に切り替えるなんてことが有りえるかしら? むしろそれを画策し、暗躍する"誰か"が居ると考えるほうが、よほど自然とは思わない?」

「リンの推論を肯定する確証はございませんが……それでも反論するに足る確証も無い事は事実、ですわね……」

 ルヴィアの答えに工房内が再び静寂へと戻る。

「「……」」

「少し、休憩をいれては如何ですか? 今、お茶を用意しましょう」

 そう言って、アルトリアが席を立った。
 ふぅと一息、肺にたまった空気を吐き出す。
 窓から見える鉛色の倫敦の空のように、工房内の空気は重たいものとなっていた。







「美味しい……」

 アルトリアの淹れてくれたミルクティを一口飲み、思わず声が零れた。

「それは良かった。それから、私が予め凛から伺っていたのは先程のお話までです。この先は、私も質問をさせていただきます」

 と、アルトリアが答える。

「もちろんよ、アルトリア」

「リン、仮に……仮に貴女の仮説が正しいと前提した上でのお話なのですが……ならば、貴女は一体誰がそんな事をしていると仰るのですか?」

 ルヴィアの問いかけで再び工房内の空気がびんと張ったものへと変化した。

「そうね……それこそ、もの凄く単純な事なのよ。むしろ単純過ぎて、見落としていたんでしょうね……そいつはね、士郎はもちろん、わたしやアルトリアの行動にまで影響を与えられるくらい近くにいて、逆にわたし達の行動を指定したとしても怪しまれることのない立場に居る人物よ」

 全ての感情を捨て、冷静な声で答えたわたしの言葉に、ルヴィアの表情が見る見るうちに青ざめて行く。

「そんな……リン、貴女が疑っているのは、まさか……」

 さすがルヴィアね。

「ええ、その通りよ。私が立てた仮説では、ミス・カミンスキーが一番怪しいのよ」

「なっ?!」

 アルトリアも驚愕の声をあげている。

「待ってください、凛! 彼女は冬木で知り合って以来、何度となく私達に協力してくれたではありませんか?!」

 勢い込んで詰め寄るアルトリアに、冷静な表情のまま答える。

「本当にそう言えるかしら? よく思い出してみて、アルトリア。最初に彼女が現れたとき、彼女は士郎の事を監視する為に、何者かに雇われた"敵"だったのよ?」

「ッ?! それは……」

「ミス・カミンスキーの言葉通りだとすれば、魔術協会のある一派が士郎に危機感を抱き、彼女を監視のために雇ったって事だったわね。じゃあ、それって一体誰よ? それに彼女が所属する組織って一体どこの組織なの? 何度か行動を共にしたり、情報提供をしてもらってるうちに、いつの間にかわたし達は彼女を"味方"だと信じて疑わなくなっていたわ。でもね、一緒に行動していたとき、肝心の戦闘の場面に彼女がいた事があった? 彼女の提供した情報が、事態解決に間に合うタイミングでもたらされたことがあったかしら?」

「……」

 呆然とした表情のまま力なくストンとソファーに座るアルトリア。

「しかも、わたし達が倫敦へと来てからは、士郎の担当教官にまでなって、その距離を圧倒的に縮めてきたわ。彼女の要請で動いた事件も少なくなかった筈よ? 前回の上海の時だって、私達の情報がダダ漏れになっていたことも、そう考えればつじつまが合うわ」

 ルヴィアとアルトリアの二人に向け、冷静に問う。

「リン……貴女の推論は理屈として概ね正しいと思いますわ。ですが、それでミス・カミンスキーを犯人と決め付けるには如何にも確証が少なすぎませんこと?」

 やっぱりルヴィアに相談したのは正解だった。
 わたしの言葉を鵜呑みにしないで、きっちりと理論と実証を求めてくれる。
 もしも、わたしが間違えていたときに、ルヴィアがストッパーになってくれるに違いない。
 でも……

「確かにその通りね、ルヴィア。ここまでなら、わたしも仮説のままとしてあなた達に話すことは無かったわ。でもね、もうわたしの中では仮説から疑惑になってしまっているのよ。それは……フィンランドでの事件、あの時にわたし達も聞いたはずよね。"世界"が士郎に契約を求める声を」

「ええ、確かにわたくしにも聞こえましたわ」

「はい、私も聞きました」

「だから、まあ"世界"が何かってことは今は置いておくとして、士郎に契約を求めていることは間違いない。ここまでは良いわよね?」

「ええ」

「はい」

 ルヴィアもアルトリアも頷きで答える。

「じゃあ、あの事件でクリスティーナが言った言葉を思い出して欲しいの。彼女はね、"目の前に示された根源への道標"って言ったのよ。つまりそれって、自らが考案した方法じゃなくて誰かに示唆された方法だってことでしょ? 少なくとも名門エーデルフェルトの魔術師にソレを信じさせるだけの存在がいたって事なのよ。でもね、どう考えても、それはミス・カミンスキーとは違う何者かなんじゃないかと思えるわ。だって彼女はどちらかと言えば"探求者"ではなく、"実践者"よ」

「……クリスティに間違った道を示唆した何者かが別にいて、ミス・カミンスキーはその者と共犯だと言うことですか?」

 さすがに、妹の事となるとルヴィアの表情が険しい物へと変わる。

「共犯なのか、それとも上下関係なのかまでは判らないわ。でも、ミス・カミンスキーとは別に"誰か"が居るのは動かぬ事実よ。それにね……これが決定的なんだけど、ミス・カミンスキーの言葉も思い出して欲しいの。わたし達が上海へと向かう前日のことよ。彼女は大師父の宿題の話題に"残念だったらしいな。冬木では"って言ったのよ。ねえ、二人共。これの意味が判る?」

 わたしだって信じたくなかったわ。
 何回も何回も考えなおした。
 でも、この言葉のせいで、他の可能性がすべて消えてしまった。

「凛……間違いは……ないのですね……」

 俯き、搾り出すような声でアルトリアが問いかけてくる。

「確証としては弱いわ、でも……理論上間違いないわ」

 と、断言で答えた。

「わたくしもリンもアルトリアも、もちろんシェロも。大師父の宿題のことを口外することは有り得ませんものね……」

 顔を伏せ、力なく肯定の答えを返すルヴィア。
 あくまで疑惑。
 でも……これで一つの方向性が確定してしまった。
 その事は、ルヴィアも同意したのだろう。
 ん? そう言えば……

「ねえルヴィア? あなたも何か話があるんじゃなかったっけ?」

 確か、そんな事を言ってたような気がするんだけど。

「ええ、まあ、あるにはあるのですが……今、このようなタイミングで言うべきか迷いますわね……」

「……何よ、気になるじゃない?」

「では、詳しいことは落ち着いてからということで……リン、貴女は第五次聖杯戦争の最後で聖杯を破壊した、と仰いましたわね。それは、確かな事なのですね?」

 険しい表情で問い詰めてくるルヴィア。
 へ? 何を今さらなんだけど……

「ええ、ぶっ壊したわよ。」

「……そうですか、それなら良いのです。フィンランドの本家から持ち帰った資料の中に少し気になる文献がございましたので、つい気になっただけですわ」

 そう言いながらも釈然としないような、表情のルヴィア。

「まあ、もうすぐ士郎が帰ってくるから今はここまでにしましょう。それから、さっきの話なんだけど、くれぐれも軽はずみな行動だけはしないこと。良いかしら?」

「判りました」

「ええ、それはよろしいのですが……リン? シェロにはまだ言っていないのですか? ミス・カミンスキーに対する疑惑の事を?」

「うん、まだ言ってないわよ。彼女がまだ倫敦に帰ってきていないのと、士郎には辛い思いをさせることになるから、少しでも確証を集めてからと思ったの」

 だって、人を疑うことを嫌う士郎だから。

「……お待ちなさい、リン。わたくしは今日此処に来る途中、シェロに連絡を入れましたが……座学の講義が終わった後、ミス・カミンスキーに頼まれた作業をしなければいけないと仰っていましたわ。すでにシェロには、ミス・カミンスキーから何らかの指示が与えられているはずですのよ!」

「なっ?! なんですってぇぇ!!」

 そんな作業、断るわけ……無いわよね……士郎だし。

「どんな作業なのかまではお伺いしていませんが……今すぐシェロの元へ向かうべきですわ!」

「わかった……アルトリアも一緒にお願い!」

「はい!」

 しまった! これはわたしのミスだ!
 わたしの甘さが、判断を間違えさせたんだ……
 大急ぎでわたしとアルトリアとルヴィアは、士郎が居るはずの倫敦大学校内、魔術戦闘訓練室へと向かった。

 お願い士郎、無事でいてね!






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