Fate / in the world
001 「君の名は」 前編
「――うん。はじめに言っておくとね、僕は魔法使いなのだ」
ああ、切嗣はほんとに魔法使いだったんだろうな。
だって、俺に衛宮士郎って名前を与えてくれて、その上生きる目標まで与えてくれたんだから。
なぁ切嗣、今でも変わらないぞ、正義の味方を目指すっていう俺の目標は。
「ああ――安心した」
うん、あの夜も二人で月を見ながら約束したんだっけな。
だから、安心してくれ。切嗣の理想は俺が――俺が遠坂やセイバーと共に形にしてやるから。
それを聞くと切嗣は白い歯を光らせ、微笑みながらサムズアップしてくれやがりました。
Fate / in the world
【君の名は 前編】 -- 最強の魔術使いの継承者 --
――そんな夢を見た。
「……」
ぼんやりとした目で時計を見ると、時刻は朝の6時前。
冬の終わりの透き通る様な朝の空気は、俺に爽やかな目覚めをもたらしてくれなかった。
「もう朝か」
勢い良く布団から抜け出し、納得のいかない夢を頭からたたき出して洗面所へと向かう。
幻想と共に夜を駆け抜けた、あの聖杯戦争が幕を閉じてから数日、俺は日常の生活を取り戻した。
だけど、その日常において俺は、幾つかの大きな変化を受け入れる事となった。
慎二は一命を取り留めたものの入院生活を余儀なくされ、桜はその看病のために家に通えなくなった。
おそらくライダーに襲われたであろう美綴は、未だ自宅療養中である。
キャスターのマスターだった葛木先生は、行方不明ということで失踪扱いとなっている。
最終決戦の地となった柳洞寺は、戦闘の余波のために半壊、現在再建の真っ最中である。
そして、あの雪の妖精のようだった少女――イリヤはもういない。
全てを救おうと足掻いても、未熟者の正義の味方の手からは多くのものが零れ落ちた。
もしかすると失われずにすんだかもしれない命や、流されずにすんだかもしれない涙に対して俺は……
それでも、護れたものはあったんだ。
この世で一番大切な女の子、遠坂の笑顔を護れた事。
そしてセイバーを失わずにすんだ事。
顔を洗い鏡を見つめる。
そこに映る己の顔は、あの紅き騎士の英霊とは違っているのだから……。
よし! まずは気合を入れて朝食を作りますか!
「そういえば、あいつらちゃんと朝飯食ってるのかな?」
冬の冷気に冷えた廊下を居間へと進みながら、ふと心配になった。主にセイバーの腹具合が……。
聖杯戦争終了後も、なし崩し的に家に居ついていた遠坂とセイバーは、昨夜から事後報告書を作るといって遠坂邸へ戻っていった。
監督役の言峰がいない今、協会への報告書提出は冬木のセカンドオーナーである遠坂の仕事らしいのだ。
「そうだな、遠坂の仕事を手伝う事は無理でも、朝食くらいなら俺にも手助けしてやれるな」
冷蔵庫の中身と相談しながら、クラブハウスサンドを作る準備に取り掛かる。
実は、遠坂は朝が弱い。壊滅的に弱い。幽鬼のごとく姿で居間を徘徊するような奴だしな。
そんな状態でセイバーの朝食まで頭がまわっているとは思えないし……。
うん、朝食届けて、ついでにあの事を相談してみるか。
休日の午前7時、朝の優しい光の中で遠坂邸の門の前にたつ。
人を寄せ付けず、孤高に佇むようなその洋館の呼び鈴を押すと、
『ばい、遠坂でず』
「……」
恋人の麗しいお声を聞くことが出来た。
「おはよう遠坂、朝飯もってきたぞ」
『え? し、士郎? あ〜、おはよう。と、とにかく入ってきて』
お前、寝起き直後だったな。
門を抜けると、玄関を開け笑顔でセイバーが出迎えてくれている。
「おはようございます、シロウ」
「ああ、おはようセイバー」
でもね、セイバー、目が俺じゃなくてお重に釘付けだぞ。
苦笑しながら一緒にリビングへと移動すると、そこには完全に身だしなみを整えた遠坂さんが、優雅にソファでくつろいでいらっしゃった。
あの一瞬で身だしなみを整えきったのか? お前は。
「おはよう士郎、ずいぶんと気が利くのねぇ、朝食届けてくれるなんて」
「いや、ついでに作っただけだから気にすんな。もう食べちゃったか? 朝飯」
「ん、まだよ。ありがとう、おかげで助かったわ」
軽く笑顔で応え、お茶の用意をしてくるわねと、遠坂はキッチンへ向かっていった。
うん、あの笑顔見れただけでも正解だったなと思いながら、俺はサンドウィッチの詰まったお重をテーブルに広げていく。
あれ? なんだ、この射るような視線は? って、セイバーお前ね……
「シロウ、やはり貴方は私のマスターだ」
ごめんセイバー、お前と出会ったあの夜の思い出が上書きされそうでちょっとやだ。
でもなぁ、あの時はまさかこんなに食いしん坊さんだとはおもわなかっぞ?
「セイバー、あなた雛鳥じゃないんだから、しっかり餌付けされてんじゃないわよ」
ゆらゆらと湯気のたつ紅茶をテーブルに置きながら、何気に酷いことを言う遠坂さん。
「凛! 私は餌付けなどされていません! ただシロウが作る料理の質が、我がマスターとして相応しいものだと言ったまでです!」
マスターに料理のスキルは関係ないと思うぞ、セイバーさん。
「はいはい、もぅ、朝からずっと機嫌悪いのよセイバーは。朝ご飯作れ作れってうるさいし……」
「当然です。朝食は一日の活力の源となるもの。それを疎かにするなど、もってのほかです」
「まぁセイバーもそう怒るなって。ほら、沢山作ってきたから遠慮なく食べてくれよな」
「まったく、シロウは凛に甘い!」
ぷりぷりと怒りながら頬を膨らませても可愛いだけだぞ、セイバー。
苦笑しながらも、三人そろって食べる朝食はほんとに美味しく思えた。
「で、報告書のほうはどんなんだ? 遠坂」
食後のお茶を飲みながら気になっていた事を尋ねてみる。
たっぷり五人分はあったクラブハウスサンドは、食いしん坊騎士の活躍で完食済みである。
「そうね、順調……とは言えないかしら」
カップをソーサーに戻しながら、一瞬表情を固くして答えた遠坂は、しかしすぐにっこりと笑いながら続ける。
「なにしろ、どこかのへっぽこ魔術師やら、考え無しの馬鹿英霊のおかげで事実をそのまま書けないのよねぇ」
「うぐっ……」
「固有結界使って勝ちました〜、なんて書いたら一発で封印指定もんよ、まったく」
これみよがしに、大きな溜息をついてみせる遠坂さん。
くっ、事実だけに何も言えないな。
「ま、士郎は心配しなくていいわよ。こっちはセイバーも手伝ってくれてるんだし」
「はい、凛のサポートは私に任せて欲しい」
そっか、二人の力になれないのは悔しいけど、セイバーもいる以上ほんとに大丈夫なんだろう。
「わかった。でも、なにか俺に手伝える事があればいつでも言ってくれよな」
「そうねぇ、じゃあ士郎には私たちのご飯のサポートをお願いするわ」
俺は魔術師として戦力外ですか、そうですか。
「……善処します」
「バカねぇ、なに拗ねてるのよ。食事の提供は大切な戦力なのよ?」
なんで疑問形で言うのさ。
「ええ、シロウの作る料理は百万の援軍にも勝る」
セイバーも大げさに頷くんじゃない。
「はぁ、まぁいいや。って、それより二人とも今日はこれからどうするんだ?」
「ん? 私とセイバーは引き続き報告書の作成だけど……何かあるの? 士郎」
そうか、それじゃあ二人を付き合わせる訳にはいかないな。元々俺の我侭みたいなものだし。
でも、俺はもう一度きちんとあの子に会いに行かないといけないような気がする。
俺が護れなかったイリヤに、俺を"お兄ちゃん"と呼んだイリヤに。
「士郎? ……」
「あ、いやすまない。ちょっと考え込んでたみたいだ。たいした事じゃないから気にしないでくれ」
いかん、遠坂やセイバーに余計な気を使わせちゃ意味が無い。
「へぇ〜、衛宮くんは"気にするな"だってさ、セイバー……」
「ほほぅ、貴方はお馬鹿ですか、シロウ……」
「な、なんでさ?」
っていうか、二人とも半目で睨むんじゃない! 怖いじゃないか。
「あのねぇ! ……はぁ、そんな思いつめた顔して気にしないでくれって言われても、気にしてくださいって言ってるようにしか聞こえないわよ! バカ!」
「うっ……」
「さぁ! なに考えてたのかキリキリ吐きなさい!」
だぁ、指差すんじゃない!お前の指差しは洒落にならないんだって!
「いや、ほんとたいした事じゃなくてさ、その……イリヤのお墓に行こうかなって思ってたんだ」
「「……」」
あれ、お二人とも無反応?
「まったく、……まぁ士郎らしいというかなんというか……」
「はい、シロウですから……」
ん? 何気にバカにされたんだろうか? 俺は。
「セイバー、今日の予定全部キャンセルね。出かける用意しなくっちゃ」
「はい、了解しました」
「え? ちょっと遠坂さん? セイバーさん?」
「何よ、そんな顔したあんたを、一人でイリヤスフィールのところへなんて行かせないわよ。私達も付いてってあげるから、さっさと用意しなさい!」
「遠坂……うん、ありがとう。やっぱり、お前がいてくれてほんとに良かった。」
「べ、別にお礼なんていいわよ……とにかく、ちゃっちゃと行くわよ!」
顔を真っ赤しながら、ずんずん進んでいく遠坂を、俺とセイバーは苦笑しながら追いかけていく。
――なぁ切嗣、俺はちょっとだけ前に進めたのかもしれないぞ。
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