Fate / in the world

013 「セイギノミカタ」 後編


――プルルルルル、プルルルルル

 絶望に支配されつつある車内の静寂を、携帯の着信音が破る。
 それは……藤ねぇからの電話だった……

「……藤ねぇ」

『……士郎』

 およそ四ヶ月ぶりの藤ねぇの声は、哀しいくらいに変わっていなかった。

「このバカ……勝手に居なくなりやがって……みんな心配してるんだぞ……」

『うん……ごめんね、士郎……』

 電話越しの藤ねぇの声の後ろで、アナウンスのような声が聞こえた。
 "白砂港発、那覇港行き最終便は21:45の出航となります"
 白砂港! フェリー乗り場かっ!
 思考と同時にアクセルを踏み込む。
 現在時刻は20:30だ。
 高速をとばせば白砂港まで一時間で着く。
 大丈夫だ、間に合うっ!

「きっちり説教してやるから……覚悟しとけよ……」

『昔から士郎は優しいけど、怒るとこわかったよねぇ。困ったなぁ、お姉ちゃん……』

「自業自得だろ……今迎えに行ってやるから、そこで待ってろよ……」

『……ダメだよ……士郎。来ちゃ、ダメだからね……』

「どうして……ダメなんだよ……そんな我侭、聞いてやれないからな……」

『だって……お姉ちゃん……お化けになっちゃったもん……』

 そんな事は聞いてやらない。
 何になろうが、知った事か。
 藤ねぇは藤ねぇじゃないか。
 俺の……"姉さん"じゃないか。そうだろ? 藤ねぇ……





Fate / in the world
【セイギノミカタ 後編】 -- 最強の魔術使いの継承者 --





 白砂港に向けて、夜の高速をがむしゃらにとばして行く。
 アクセルを床まで踏みつけ、ただ前を睨みつけたまま車を走らせる。
 凛もアルトリアも一言もしゃべらずに、俺と藤ねぇの会話を聞いている。
 図らずも俺と藤ねぇの短い会話は、凛やミス・カミンスキーの推論を肯定していた。

「……」

『そっか……もう士郎も知ってたんだね。お姉ちゃんがお化けになっちゃった事……』

「お化け言うな……このバカ……」

『ううん、お化けだよ。だって……お姉ちゃん、人の血を吸わないと我慢できないんだよ?』

「それは……」

 くそっ! そんな事、言わないでくれ……

『夏にね、旅行に行ったでしょ。あの時に赤ちゃんができた事に気づいたんだぁ。嬉しかったよぉ、高崎さんの赤ちゃんだもんね。涙が出るほど嬉しかったんだぁ。でもね……お家に帰るとお腹に変な痣ができてたの。それからは、何を食べても戻しちゃって、酷い悪阻だなぁって思ってたんだけど……ずっと喉が渇いてどうしようもなかったの。喉が渇いて渇いて渇いて……気がついたらわたし、裏庭の鶏小屋の中で血を吸ってたんだぁ。でも鶏の血なんかじゃ全然足りなくて……それで、気づいたの。このままじゃわたし、いつかみんなを殺しちゃうって』

「それで……家を出たのか?」

 ほんとにバカだ……藤ねぇは……

『うん……だって……士郎が苦しむもん……お姉ちゃんがお化けになって、みんなを殺そうとしたら、士郎が苦しむじゃないのよぉ……士郎は、"正義の味方"なんだから……』

「正義の、味方……」

『そうだよぉ、士郎は切嗣さんと同じ"正義の味方"なんだから……だから……お化けになったお姉ちゃんを殺さないといけないんだからね……でも、士郎は優しいから……お姉ちゃんを殺した後で、自分の心を殺しちゃうでしょ。そんなの、お姉ちゃんは認めてあげない。だから、士郎には殺されてあげない』

「このバカ……一人で勝手に決め付けんな……"正義の味方"ってのはな、みんなを救うんだよ。だから、俺は藤ねぇだって助ける」

『やっぱり、男の子だねぇ士郎は。お姉ちゃん嬉しいなぁ。でもね、士郎。みんなを助けるのが"正義の味方"なら、士郎はお姉ちゃんの事、許せない筈だよ? だって、お姉ちゃん、もういっぱい人を殺しちゃったから……』

「……」

 答える言葉が見つからない……でもな……それでも俺は。

『お姉ちゃんを助けるって事は、そういう事なんだよ? 士郎……』

「なら……藤ねぇがどうしても血が必要だって言うのなら……俺の血を吸え、藤ねぇ……」

「士郎っ!!」

「シロウ!!」

 だってもう、それしか無いじゃないか……

『……そう言うと思ったけど……士郎のバカチン! 凛ちゃんやアルトリアちゃんに心配かけちゃダメでしょ!』

「けどっ!」

『けどじゃない! いいから聞きなさい、士郎。もうお姉ちゃんはね、士郎の"正義"と反対のモノになっちゃったんだから、わたしのことは忘れなさい。お姉ちゃんは……よく解かんないけど……どこかの島で赤ちゃんを産んで、生きられるだけ生きてみるから。きっと、そう遠くない未来に誰かに殺されちゃうかもだけどねぇ。たぶん、大勢の人を巻き添えにして、殺しちゃうんだろうけど……正直いうとね、もうそういう事がどうでもいいかなって思えるようになって来ちゃってるのよ』

「藤ねぇ……」

『家を出てからね、高崎さんのお部屋を調べて、色々解かっちゃったんだ。たぶん、高崎さんはテレビで言ってた事が原因で死んだんじゃないって事……ちがうよね、殺されたって事とか。それも自分が勤めてた会社に殺されたのかも知れないって事とかね。もしかしたら、今のわたしと同じようになっちゃったのかもしれない。それでね、会社の研究所とかにも行ったんだけど……もう何にも残ってないの。悔しくて悔しくて、もっと調べたらあの新興宗教が高崎さんの会社と関係があるって判って、今日行って来たの。向こうの人が高崎さんのこと悪く言うもんだから、お姉ちゃん頭にきちゃって全員殺しちゃった。でも、ちょっとだけスカっとしたかなぁ。だって罪悪感とか後悔とか、そういう気持ちがね、もう無いの』

「……」

『あ、そろそろお船に乗らなきゃ……じゃあ士郎、凛ちゃんやアルトリアちゃん、桜ちゃんと仲良くして、幸せになるのよ? 絶対絶対幸せにならないとダメだからね?』

――ブツッ、ツーツーツー

 そう言って藤ねぇは電話を切った。
 馬鹿ヤロウ……そんな事、最後に言う言葉じゃないだろうが……
 俺は、認めないからな、藤ねぇ。







「「「……」」」

 車の風切音がやけにうるさい。
 コンソールの時計は21:15を示していた。

「……士郎……あなたの師として問うわ。衛宮士郎は藤村大河をどうするつもり?」

「……」

 一流の魔術師として発せられたその問いに俺は……

「もし……このまま藤村大河を行かせれば、その先の人たちは全員殺されるでしょうね。いいえ、被害はそこだけに収まらないかもしれない。でも今ならまだ、時間的にはぎりぎり間に合う筈よ……もう一度問うわ。衛宮士郎は藤村大河をどうするつもりなの?」

 冷徹な表情のまま、凛は俺の"答え"を問う。

「俺は……俺は、"正義の味方"だ……けどな、救えるのなら、間に合うのなら……全てを救うために足掻いてみたいんだ……」

 そう、答えなんてとっくに出ていた。

「……そう……まあ、正解なんてないんだけどね……」

 小さく呟きながら、凛は顔を上げて続ける。

「……もうすぐ港につくわ。士郎は車の中にいなさい。これは師としての命令よ」

「なっ?!」

 急に何を言い出すんだ、お前は!

「……アルトリア……ごめんなさい。こんな事、お願いしたくないんだけど……」

「……はい、顔を上げて下さい、凛。そんな物言いは、貴女には似合わない」

 待てよ、お前らほんとに何言ってんだ。

「そうね……アルトリア、藤村大河を殺しなさい」

「はい」

「待てっ!」

 白砂港のロビー玄関前に車をとめると同時に、叫ぶ。

「いいえ、衛宮君。あなたに藤村大河を殺させるわけにはいかないわ。きっと……あなたの心がもたないから……それは、あなたをアーチャーにしてしまうから……」

「くっ……」

 だけど、お前達が手を汚すのは違うだろ!
 それに、俺はまだ藤ねぇの事も……

「シロウ! 凛! 船がっ!!」

 アルトリアの声に視線を向けると、そこには……既に岸壁を離れ、出航してしまった船が見えた。

「「なっ!」」

 どうして! 時刻はまだ21:30にもなってないじゃないかっ!

「そんな……これじゃあ、手の出しようがないじゃない……」

「あの距離、風王結界では届きません……」

 既に出航してしまった船は、岸壁から一キロほど進んでいた。







――プルルルルル、プルルルルル

――ガチャ

『……凛ちゃん? どうしたの?』

「……お義姉さん、どうして船が出港しているのですか?」

『やっぱり、追って来てたんだ。うん、こうなるかなぁって思って、船長さんを脅して出航を早めてもらったのよぉ』

「そうですか……ちなみに、その船の中の人は全員殺すんですか?」

 凛と藤ねぇの会話の向こう側から、人の叫び声や悲鳴が聞こえている。

『たぶん、船のクルーさん以外は殺すよぉ。二百人ほどいるんだから、それなりに渇きを癒す事もできるでしょ』

「……わかりました」

――ブツッ、ツーツーツー

 全てが手遅れなのだと知らしめるような会話が終わる。
 車内が再びの静寂につつまれる。
 その静寂を破り、決意を言葉に乗せてアルトリアが放った言葉は、

「凛、宝具を使います。許可を……」

「「なっ!」」

 俺の甘い理想を戒めるには十分なものだった。

「ダメだ! アルトリア!!」

「そ、そうよ。宝具を使えば、あなたが現界出来なくなるわ。それに、今のわたしの魔力量じゃ満足に宝具を打てないわ……」

「しかしっ! 他に手が無いではありませんかっ!!」

 アルトリアのその悲壮な決意を聞いて……俺も最後の決心をした。

「いや……手はあるさ」

 そう、まだ手はあるんだ。

「って、あんたまさかっ! ダメよっ! 士郎っ!!」

「シロウ! 貴方は手を下してはいけないっ!!」

 ああ、もし俺が一人だったなら、きっとアーチャーのようになっていたんだろうな……
 自分自身の理想を呪うようになって、そしてそれにさえ裏切られて……

「大丈夫だよ、凛、アルトリア。……俺は一人じゃないんだから」

 そう言って、二人に微笑みかけた。
 上手く、笑えてただろうか? あんまり自身はないけどな……

「「っ?!」」

 息を呑み、そのまま二人は黙ってしまった。

「よし! 行くぞ……」

 そう言って俺は、車を走らせた。
 あの、切嗣が大好きだった丘の上の公園を目指して。







 公園の見晴台からは、夜の海に遠ざかっていく藤ねぇを乗せた船が見える。
 海風も無く、波も無く、凪いだ海原を死者達の船が静かに進んで行く。
 その距離およそニキロメートル。

「――投影重装(トレース フラクタル)!」

 左手に漆黒の洋弓、右手に漆黒の剣。

「……無理だわ、距離があり過ぎる。ここからじゃあ、届かないわ……」

 ああ、凛の言うとおり普通ならどうやったって人間の射撃可能範囲を超えてるよな。
 でも、この剣でなら……

「シロウ、その剣は……」

「"赤原猟犬(フルンティング)"。射手が狙う限り、その目標を狙い続ける魔剣だ」

 漆黒の刀身には、螺旋状に棘が巻きついたような形状をしている。

「「……」」

 それともう一つ。
 俺自身の力の底上げが必要不可欠なんだ。

「――同調開始(トレースオン)!」

 全身の筋力を限界を超えて強化する。
 腕、足、背筋、腹筋、全ての筋繊維が激しい痛みを訴えかけて来る。
 その悉くを無視し、さらに強化を施す。

「士郎、無茶よっ! もうやめなさいっ!!」

 こんな痛みは何でもないんだ!

「大、丈夫。くっ……これで……なんとか届きそう、だ……」

 限界を超えた身体強化の代償か……今にも四肢が引きちぎれそうだ……
 呼吸を整えながら、携帯を操作し藤ねぇの携帯を呼び出す。

――プルルルルル、プルルルルル

――ガチャ

『……士郎?』

「ああ、俺だ、藤ねぇ」

 藤ねぇが電話に出たことを確認し、俺は見晴台の先端へと移動する。
 夜空からは、いつの間にか雪が降り始めていた。

『どうシたノ? 士郎?』

「今、切嗣が好きだったあの丘の上の公園にいるんだ……これで最後だって言うんなら……せめて姿くらい見せてくれよ、藤ねぇ」

『ムりよ、士郎……もう、ずイぶン岸かラ離れチゃってルし、見えっこナイわヨぉ』

「ああ、そうかもな……でも、なんとなく見えそうな気がするんだ。たのむよ、藤ねぇ」

 まるで片言の日本語を話すような藤ねぇの口調が胸に刺さる。

『ワかった、ジゃあ甲板にデルねぇ』

 "赤原猟犬(フルンティング)"を弓に番える。
 全魔術回路を叩き起こし、魔力を"赤原猟犬(フルンティング)"へと籠め始める。

「悪いな、藤ねぇ。手間掛けさせちまって……」

 そして俺は、遥かニキロ先の船の甲板に藤ねぇの姿を見る。
 十一年もの間、一番側で俺を見守ってくれた姉の姿を。
 魔術回路を限界まで回し、"赤原猟犬(フルンティング)"へ籠める魔力を高めていく。

『ヤっぱり、見えナイでショ』

「ん、そうでもないよ……いつも通りの藤ねぇだ。四ヶ月しか経ってないのになんだか懐かしい気分だな」

 紺の妊婦服に少し目立つくらいの大きさのお腹、変わらない栗毛色の髪の毛。
 そして……真赤な瞳……
 その瞳を見た瞬間、理性と自制が吹き飛んだ。
 魔術回路は限界を超えて酷使され、悲鳴を上げているが今は構っていられない。
 そして、籠められた魔力量は"赤原猟犬(フルンティング)"の限界寸前となる。

『懐かシイかぁ……そうネェ、切嗣サンが居た頃に戻りたいナァ……』

「俺と藤ねぇの二人でよく喧嘩もしたけどな。それでも藤ねぇと切嗣のいた暮らしは楽しかったよ……」

 過剰な魔力の流れと共に、俺の体の周囲を光の渦が巻いていく。
 強力な魔力の奔流は俺の体に積もる雪を溶かし始める。
 "赤原猟犬(フルンティング)"を番えた弦を限界一杯まで引き絞り、"中り"を確信してしまう……

『ウン、切嗣サンと士郎とワタシ。マルデ家族みタイダッタもンネ。デモ、ワタシは士郎の本当ノお姉ちゃんにナリたカッタなァ』

「何……言ってんだ、"姉さん"。……十一年前から……とっくに俺の、"姉さん"じゃないか……」

 一筋の涙と共に、"赤原猟犬(フルンティング)"の魔力は臨界へと達した……

『え?』

「――"赤原猟犬(フルンティング)"!!」

 真名開放と共に放たれた"矢"は、紅い彗星となって闇夜を疾走する。
 切り裂く大気の悲鳴は一瞬。
 音速を超えた紅い彗星は、ニキロの距離を刹那で踏破する。
 そして俺の放った矢は……俺の"姉だった人"を、殺し尽くた……
 "赤原猟犬(フルンティング)"は射手が狙う限り、その目標を狙い続ける。
 "復元呪詛"があるがために"赤原猟犬(フルンティング)"に貫かれては、肉体を四散させ、また復元するを数度繰り返し、遂にはその復元力が追いつかなくなるまで……
 目的を達した"赤原猟犬(フルンティング)"は、そのまま船体の中心部まで貫通していく。
 そして、

「――"壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)"!」

 俺の詠唱と共に死者達を乗せた船は太平洋上で爆発炎上した。
 その火柱はまるで、天から突き刺された矢のようだった。

 思わず、天を仰ぐ。

「これはさ……これは"セイギ"なんだ……そうだろ? 切嗣? 俺は、大勢の人を救ったんだ……死ぬしかない人が死んで、死ぬ理由の無い人たちを救ったっ! これが……これが"セイギノミカタ"以外の何だって言うんだっ!!」

 俺の叫びは虚しく雪の夜空へと消えていく。

「士郎……あなた……」

「シロウ……そんな……」

 知らず流れていた涙を、吹き始めた海風が乾かしていく。
 その風に、夜空から舞い散る雪と同じように、"真白になった俺の髪"が踊らされる。

――切嗣、あんたはこんなにも辛い現実と……こんなにも無慈悲な世界と、たった一人で闘ってきたのか?

 全ての魔力を使い切った体と意識はそこが限界だった。
 俺の意識は闇へと落ちていった。
 その瞬間、

『――契約せよ』

 何処かで、そんな声が聞こえたような気がした。






Back  |  Next

ホームページ テンプレート フリー

Design by