Fate / in the world

ExtraSeason - Ex-05 「変身ベルト」 単編


 五月晴れの土曜の朝、ぽかぽかと暖かい太陽の日差しの中、ここ旧衛宮邸の土蔵の中は……戦場と化している。

「ゲッホゲホゲホ……もうっ! 埃だらけじゃないっ!」

 仕事の都合で英国へと戻った私の両親に連絡を取り、土蔵に残った士郎の遺品回収の許可を取ったのですが……

「リン! 貴女は片付けているのですか! それとも、散らかしているのですかっ!」

 元々、凛は整理整頓などという崇高な言葉とは対極に位置する存在ですし……

「フンッ! ルヴィアだって触る度に物が増えていってるじゃないっ!!」

 ルヴィアゼリッタにしても、これまでの人生において彼女自身が整理整頓などする筈もなく……

 まあ、その結果当然の事ではあるのですが、遺品整理を開始してから一時間、未だに何一つ整理出来ていない現状となるのです。
 そして……

――ドンガラガッシャンッ!!

 既に本日三度目となる荷物の雪崩を引き起こすダメ魔女二人。
 ああ……そろそろ限界ですね。主に私の忍耐力がっ!

「いい加減にして下さいっ! この場の整理は私とシノブが担当致しますっ! 貴女達には即刻土蔵の外へと出て頂き、私達が運びだす品の取捨選択だけをお願いしましょうかっ!!」

「な、何よ、最初からそういう役割分担にすればよかったんじゃない」

「そ、そうですわね、無駄な時間と労力でしたわ」

 ほぅ……開き直りましたね、このスットコドッコイ達は。
 五歳児二人に荷物の整理作業を押し付け、いい年をした大人二人が、選別作業のみに甘んじる事を良しとすると言うのですね?
 ぶちぶちと文句を垂れる魔女二人をギロリと睨みつけると、疾風の如き速さで土蔵の外へと退散してしまう。
 まったく……どうして私の周りに居る魔術師(メイガス)は、いつもいつも性格破綻者ばかりなのでしょうか……
 まあ、そんな事よりも、今はまずこの荷物の大軍を制覇し、その悉くを整理整頓することですね。
 ええ、私にはシノブと言う頼もしい相棒(パートナー)がいるのです、ならば何を恐れる必要などありましょう。

「では、シノブ。二人力を合わせて、この荷物の大軍に勝利いたしましょう」

 笑顔で振り返った私の視線の先には、下手糞な字で"おれのたからもの"と書かれたダンボール箱の中を、食い入るように見つめるシノブの姿があった。
 その瞳は"おれのたからもの"ダンボール箱の中身に魅せられたかの如く、きらっきらと輝いている。
 あれは、当分動きそうにありませんね……
 ああ、何ということでしょうか。私はこの荷物の大軍を前に、孤立無援の戦いを強いられていたというのですか。そうですか……

――お〜る〜た〜っ! お〜る〜た〜っ!

 ハッ?! 今一瞬、魂の底から聞こえてきた、何やらどす黒い歓声のようなモノに意識を奪われていたようですが。
 いけません、アルトリア。理由は判りませんが、あのどす黒い声に耳を貸しては、取り返しの付かないことになりそうな気がします。

「見ていてください、シロウ。例え私は一人であろうとも、貴方の大切な家族を支えきってみることを誓いましょうっ!」

 ですから、後ほどシロウくん人形を、ミニカリバってもよろしいですよね? シロウ?





Fate / in the world
ExtraSeason
【変身ベルト 単編】 -- 蒼き王の理想郷 --





 五月晴れの土曜の午後、ぽかぽかと暖かい太陽の日差しが差し込む此処、遠坂邸のリビングで私はアフタヌーンティーを楽しんでいる。

「まったく……何考えてるのよアンタは。帰って来るなり士郎人形に"約束された小さな勝利(ミニカリバー)"ぶっ放すなんて……」

 ぶちぶちと文句を言いながら、凛はもげてしまったシロウくん人形の首を胴体へと繋ぎ合わせている。

「私の精神的安定を保つための、尊い犠牲ですが、何か?」

 まあ、八つ当たりとも言いますが……

「何か? って……まあいいわ、なんとか士郎の遺品も回収できたんだし」

 ええ、ほとんど私一人でやったのですが……まあ、よしとしましょう。

「先程からシノブは何をしているのでしょうか? 帰ってきてからもずっと、あのダンボール箱から離れようとしませんわね」

 ルヴィアゼリッタの声に、凛と私が揃って視線を向けた先には、リビングの隅でシノブがこちらに背を向けながら、"例の"ダンボール箱に齧り付いている。

「ほんとねぇ? 何なのかしら、あのダンボール箱?」

 怪訝な表情で立ち上がった凛がシノブへと近づいたその時、クルリと振り向いたシノブの瞳は、午前中よりも一段ときらっきらに輝いていた。

「ねえ、お母さん!」

「ど、どうしたの? 忍?」

 その瞳のあまりのきらっきら加減に思わず後退った凛が、どもりながらも笑顔で訊ねると、

「コレ! お父さんのでしょっ?!」

 シノブがその両手で持ち上げたモノを、こちらへと見せながら問い掛けてくる。
 満面の笑みで問いかけるシノブの手にあるモノ、それは――ライダー変身ベルトでした。
 と言っても、ライダーのサーヴァントに変身するわけではなく、子供向け特撮番組のヒーローが身につけているベルトを模した玩具なのですが。

「ソレってライダー変身ベルトよねぇ? 確か……士郎が子供の頃に買ってもらったって言ってたし……うん、きっと忍のお父さんのベルトよ!」

「やっぱりそうなんだぁっ!! ねえ、お母さん。コレ、僕が貰ってもいい?」

「え? ええ、忍が欲しいなら忍が使っても良いわよ。その方がきっと、お父さんも喜ぶわ」

 苦笑しながらも凛が承諾すると、大歓声をあげながらシノブは自分の部屋へと駆け出していった。
 きっと自分の身につけて、姿見に写して見るのでしょうね。ええ、もちろん、変身のポーズを取りながらです。

「えっと……一つお伺いいたしますわ。"らいだーへんしんべると"とは、一体何なのでしょうか?」

 きょとんした表情のまま、遣り取りの一部始終を観察していたルヴィアゼリッタが、そのままの表情で訊ねてきた。
 まあ、当然といえば当然ですね、北欧で育った彼女がライダー変身ベルトを知らないというのは。
 数多あるライダーシリーズの中にも、北欧出身のライダーは存在しませんので!

「う〜ん、何て説明したら良いのかしら。まあ、要するにこの国の子供向け特撮番組があってね、その中に出て来る変身ヒーローが身につけてるベルトのおもちゃなのよ」

「なるほど、テレビ番組のおもちゃだったのですね。それにしても、シノブは凄い喜びようでしたわね」

「ほんとよねぇ……あれ? あの番組ってかなり昔のものなのに、よく忍が知ってたわねぇ?」

 フッ、その程度の知識でルヴィアゼリッタにライダーシリーズの薀蓄を垂れようなどとは……凛! 笑わせないで頂きたいっ!

「凛が言っているのは、一号ライダーから始まる昭和版ライダーシリーズの事でしょう。ですが、近年においても平成版ライダーシリーズとして、製作放送され続けているのです」

「へぇ〜」

 この程度の事は常識中の常識ですね。

「それに人気の高かった一号や二号、V3などはリバイバル放送されていますので、最近の子供達にも人気があるのです。ちなみに、シノブが見つけたシロウの変身ベルトは、V3が身に着けていたダブルタイフーン型変身ベルトです」

 予想通りとは言え、やはりシロウはV3派でしたか。
 まあ、シロウとV3とは名前に置いてシロウ繋がりですから、これは仕方のない事なのでしょう。

 私の隙のない説明に、凛とルヴィアゼリッタがぽかんとした顔をしているところへ、シノブが何やら困惑した表情でトテトテと戻ってくる。

「お母さん、このベルトね、ここにボタンがあるんだけど、押しても何も動かないんだぁ。壊れてるのかなぁ?」

 それは、ダブルタイフーンの駆動ボタンですね。
 ですが……おかしいですね? アレを押せば、ダブルタイフーンのダイナモが光り輝き、ぐるぐると回るはずなのですが……

「それは仕方ないわよ。だって、ソレは忍のお父さんが子供の頃に使ってた物なんだから、電池が無くなってるのよ、きっと。それに士郎の事だから、使いまくってた筈だしねぇ」

 なるほど、電池切れですか。
 しかし、幼いシロウがあのV3変身ベルトを身につけ走り回っている姿。ええ、それはもうありありとその光景が眼に浮かぶようです。

「じゃあ、電池を交換すれば動くの?」

「多分ね、後で新しい電池を買いに行きましょうね」

「は〜い。ねえ、アルトリア。公園でライダーごっこしない?」

 ほぅ……シノブはよりにもよって、ライダーごっこで私に挑むというのですね。

「良いでしょう、シノブの挑戦、受けて差し上げます」

 そう言って私は、すっくと立ち上がり、リビングを後にしようとしたのですが、

「そうです、最後に一つ言っておかないと……凛、ルヴィアゼリッタ、私はライダーマン肯定派ですので、それだけは忘れないで頂きたい。ではシノブ、公園へ急ぎましょう」

「「……」」

 最も大切な事を言い残し、改めてシノブと共に公園へと向かいました。







 深山商店街の近くにある、小さな公園へとやってきた私とシノブは、お互いに対峙しながら睨み合っているのですが……

「いくぞっ! 怪人クッチャネッ!!」

「待ちなさい、シノブ。何ですかその"怪人クッチャネ"という、失礼極まりない名前は! それに私は、食っちゃ寝などしていませんっ!」

 大体そんな言葉を何処で覚えてきたのですか!

「あれ? お母さんが"アルトリアは昔から、食っちゃ寝だったわよ"って言ってたよ?」

 凛……貴女とは後ほど、徹底的に話し合うとしましょう。
 今はまず、シノブの説得が最重要課題ですね。

「それは、間違いですシノブ。ええ、全く根拠のない、謂れなき侮蔑ですので、以後そのような名で私を呼んではいけません。解りましたね? シノブ?」

 懇切丁寧な私の説得に、小さな首がもげそうな程コクコクと頷くシノブを見て、ようやく私の精神的安定は保たれました。
 ふぅ、シノブが素直な良い子で助かりましたね。

「……えっと、それじゃあ……いくぞっ! 大幹部・怪人百獣王っ!!」

 これは……子供なりに、気を遣っているのでしょうか?
 いきなり、怪人クッチャネから大幹部へと昇進しましたが……それに百獣王というネーミングセンスもなかなかのものです。

「とうっ!!」

 掛け声一閃、ベンチの端から飛び降りたシノブが、着地と同時にポーズを決める。
 やりますね、シノブ。見事にV3を演じ切っています。

「かっこいいベルトじゃなぁ、君もライダーが好きなのかい?」

 シノブのポージングに心の中で感嘆の拍手を贈っていると、ベンチの反対側に座っていたおじいさんがシノブに声を掛けてきた。
 年の頃は六十前後だろうか? 真白な可愛い子犬を連れている。
 ロマンスグレーの髪と、深い皺を刻み込んだ優しそうな顔が、その人柄を顕している人のよさそうな老人だ。

「うんっ! このベルトはね、僕のお父さんが使ってた物なんだっ!」

 えっへんと胸を張って、腰にまいたV3変身ベルトを誇らしげにおじいさんへと見せるシノブ。
 やはり、シロウの持ち物を手にしたことが、本当に嬉しいのでしょうね。

「そうか、君のお父さんから貰ったのかぁ。それは、良かったなぁ、ぼく」

 シノブの言葉を聞いて、にこにこと微笑みながら、シノブの頭を撫でているさまは、まるで孫を可愛がる祖父の姿のようです。

「僕は遠坂忍って言うんだ。この子はアルトリアだよ」

 私と自分の名をおじいさんへ伝えながら、その横に腰掛けたシノブにならい、私もシノブの横に腰掛ける。

「そうか、忍くんとアルトリアちゃんか。実はな、おじいさんも持っているんじゃぞ? 忍くんのと同じベルトをな」

 そう言って、横に置いていた鞄の中から、封の切られていないV3変身ベルトを取り出した。

「うわぁっ! すごいや! 新品の変身ベルトだっ!! おじいさんもライダー好きなの?!」

 またしても、きらっきらの眼差しでベルトとおじいさんを交互に見つめるシノブに、苦笑しながらおじいさんが答える。

「これはな、おじいさんの孫の誕生日プレゼントに、贈るつもりだった物なんじゃよ。だが……もう二度と渡してやれんようになってしもうたんじゃがなぁ……」

 静かな微笑のまま、遠くを見つめるおじいさんの言葉に、シノブも私もただじっと、おじいさんを見つめている。

「もう何年も前のことじゃが、この冬木の街を大災害が襲ってな。その時に、わしの娘夫婦と孫の稔も亡くなってしもうた。その三日後が五歳の誕生日じゃった稔は、変身ベルトが欲しいと言っておってな。あの子に手渡してやることを楽しみにしておったんじゃよ。いつも"じいちゃん、じいちゃん"と良くわしに懐いてくれておった、可愛い孫じゃった」

 そう言いながら、おじいさんは胸のポケットから一枚の写真を取り出し、私とシノブに見せてくれた。
 そこに写っているのは、恐らく娘夫婦と孫のミノルという名の子どもなのでしょう。
 家族三人で、幸せそうに笑っている姿を写したその写真を見つめながら、"昨年の暮に妻も逝ってしもうてなぁ"と呟いた声がわずかに聞こえた。

「この子が稔くんなの?」

 写真を見ていたシノブがおじいさんへと問いかける。

「そうじゃよ……そのベルトをして遊んでいる君たちを見ていたら、ついつい思い出してしもうてな。思わず声をかけてしもうたんじゃ」

 栗毛の髪に、意志の強うそうな瞳、それでいて優しそうな顔立ちは、そっくりとは言わないですが、どこかシノブに似ていなくもない。
 これならば、シノブに失ってしまった孫の姿をダブらせてしまうのも、仕方のないことでしょう……

「そっか……それじゃあ、今日は僕が稔くんの代わりになるよっ! だから、一緒に遊ぼうよ! おじいさんっ!」

 無邪気な笑顔で誘いかけたシノブの言葉に、一瞬呆気に取られていたおじいさんは、

「それは……嬉しいのぉ……忍くんが稔の代わりにわしと遊んでくれるのか……」

 顔の皺を一層深くしながら、笑顔で答える。

「うんっ! アルトリアも良いでしょ?」

「ええ、もちろんですよ、シノブ」

 貴方のその優しさを無碍にすることなど、私に出来る筈が無いではありませんか。

「じゃあ、ライダーごっこの続きをしようっ!」

 そう言って、ベンチをトンっと飛び降りると、こちらに向かってポーズを決めるシノブ。

「出たな、怪人サイゴウドン! 今日こそ、手下の犬型戦闘員もろとも倒してやるぞっ!」

 ……いきなりおじいさんが怪人ですか。しかも、無駄に博学ですね、流石はトオサカということでしょうか……

「わっはっはっは、そう簡単に倒されるわしではないでごわす! かかるでごわす、戦闘員達よ!」

 ……おじいさん、貴方も凄くノリノリですね? しかも、その視線は私が戦闘員ということなのでしょうか……
 クッ! やむを得ませんねっ!

「イ――ッ!!」

 ショッカー戦闘員独特の雄叫びをあげながら、跳びかかる私をひらりと躱したシノブは、

「V3きりもみキ――ックッ!!」

 お約束の技の名前を叫ぶ。って、いきなり必殺技ですか?

「負けんぞ! 西南パンチじゃぁぁ!」

 怪人サイゴウドンも負けじと、必殺パンチ……でしょうか? とにかくソレ風のものを放つ。
 その瞬間、まるでスローモーションのように交差するキックとパンチ。
 あ、いえ……実際、もの凄くスローなのですが……まあ、それはともかく……
 シノブのキックが炸裂すると、怪人サイゴウドンは、"デストロン万歳!"と叫びながらバタリと倒れました。
 あなどれませんね、このおじいさん……







 西の空が赤く夕焼けに染まり、私とシノブとおじいさんの楽しかった時間にも、そろそろ終わりが近づいてきた。
 一緒になって遊んでいる間に、すっかり懐いてしまった子犬をシノブが抱えていたのですが、それをおじいさんへと返すと、

「おじいさん、凄く面白かったよっ! 今日はありがとうっ! また、一緒に遊ぼうねっ!」

 夕日に照らされた笑顔でそう言った。

「いやいや、おじいさんこそ楽しかったよ。忍くん、アルトリアちゃん……素敵な想い出を、ありがとう……」

 同じ様に夕日に照らされながら手を振り続け、私達を見送るおじいさんの影が、人の少なくなった公園へと長く落ちていた。
 その姿が何故か、何時までも私の脳裏から離れなかった……







 遠坂邸へと帰宅した私とシノブは、夕飯の良い匂いに誘われるように、ダイニングへと向かった。
 シノブは凛の手料理を食べながら、昼間公園で出会ったおじいさんと子犬の事を、楽しそうに話している。
 ですが、食事時には変身ベルトを外したほうが良いですよ、シノブ。

「それでね、また一緒に遊ぼうねって約束したんだっ!」

 そう言えば、物心ついた時から、シノブは男親に遊んでもらった記憶が無かったのですね。

「そうだったの、良かったじゃない、忍」

 それを解っているのでしょうね、凛もにこにこと忍の話を聞いている。
 ただ……私と凛にとっては、あのおじいさんから大切な家族を奪った災厄について、内心想うところがあるのですが……
 ですが、それは私と凛の心の問題であって、シノブに伝えるようなものではない。
 ましてやこの温かな夕食の場には、出すべきものではない。

「ですが……少し気をつけるのですよ、シノブ。最近、冬木の公園には、ガラの悪い連中が集まって、暴行を働くような事件が起こっていますからね」

 ルヴィアゼリッタが、諭すようにシノブに話しかけた内容は、私も聞き知っていた。
 新聞やニュースでも報道されていたその事件は、"オヤジ狩り"と称される、若い連中が群れをなして、何の罪もない一般市民へと暴行を働き、金品を脅し取るというものだ。
 警察関係も捜査を進めているということだが、犯人グループは未だ検挙されていない。

「はい、ルヴィアお姉さん。暗くなる前には、おうちに戻るから大丈夫だよ」

 もっきゅもっきゅと小龍包を頬張りながら、ルヴィアゼリッタに答えるシノブ。
 今日は、一段と食が進むようですね。
 まあ、昼間あれだけ遊びまわったのですから、当然といえば当然です。
 ですから、私の食が進むことも、仕方のないことなのです。
 そう思いながら、八つ目の小龍包を自分の皿へと取り分けたとき、玄関から何やら犬の泣き声が……

――わんわんわん! わんわんわん!

「珍しわね、うちに野良犬が迷いこむなんて……」

 そう言って凛が立ち上がろうとした時、シノブが慌てて食卓を離れながら私に声を掛けてきた。

「あの声は野良犬じゃないよ、あれはおじいさんと一緒にいた子犬の声だよっ!」

 玄関へと駆けていくシノブの後を追って、私も駆けつける。
 ガチャリとドアを開けると、はたしてそこには、小さな白い身体を血で汚したおじいさんの子犬が居た……

「ほら! やっぱり、おじいさんの子犬だよっ!」

「ええ、しかし、この血は一体……この子のケガでは無いようですが」

 と、私がそこまで言った途端、シノブがギリっと奥歯を噛み締める音が聞こえた。

「お前、おじいさんに何かあったんだって、僕に知らせようとして来たんだね? よし! それじゃあ、僕をおじいさんの所に連れてってくれないかっ!」

 シノブがリードを掴んだ事を確認するやいなや、子犬は一鳴きすると同時に駈け出していく。
 その後を追うように、シノブも飛び出していってしまう。

「あっ?! シノブ! 一人では危険です! 凛、ルヴィアゼリッタ!! 直ぐに後を追ってきて下さいっ!!」

 私は凛とルヴィアゼリッタへ大声で知らせるとともに、シノブの後を追いかけた。

 そして辿り着いたその先――昼間、私とシノブがおじいさんと一緒に遊んだ公園のベンチの傍に、血に塗れて倒れ伏したおじいさんの姿を見つけた。

「おじいーさんっ!!」

 慌てて傍へ駆けつけるシノブと私に、少し遅れて凛とルヴィアゼリッタが追いついてきた。

「おじいさんっ! おじいさんっ!」

 パニック状態になりながら、倒れ伏すおじいさんへと縋りつくシノブをルヴィアゼリッタが慌てて制する。

「シノブ! 落ち着くのです、シノブッ!」

「凛、どうですかっ?!」

 即座におじいさんの診察を始めた凛へと問いかけると――

「……肋骨、鎖骨、上腕骨、大腿骨の骨折に、複数臓器の破損、それに伴う大量の失血……今、息があることの方が奇蹟よ、手の施しようが無いわ……」

 ――表情を消したまま、首を横に振った。

 一瞬にして流れる、鎮痛な空気の中、

「だめだよっ! おじいさん、まだ生きてるんでしょっ! だったら諦めちゃだめだよっ!!」

 一人、シノブだけが希望を捨てなかった。

「……そうね、何もしてあげられないけれど、せめて病院へ」

 そう言いながら凛が救急車を手配する。
 あまりに酷いその所業に、思わず視線を背けた先には、無残に壊され放り捨てられた、変身ベルトがぽつんと落ちていた。







 凛が手配した救急車に運ばれたおじいさんを追って、私達は救急病院へと駆けつけた。
 そして、処置室の前で待っていた私達に、医師から告げられた言葉は、

「手の施しようが……恐らくもう長くは……ご家族を呼ばれたほうが……」

 という、非情なものだった。

「あの……その方にはご家族はいらっしゃいません」

 知り得た情報から、私がそう言うと、

「そうですか、残念ですが……」

 と医師は処置室へと戻っていった。
 言い様のない程、やり切れない想いが支配する空気の中、

「お母さん、一回だけ使っても良い? どうしても、おじいさんに見せてあげたいものがあるんだ……」

 真剣な表情で、シノブが凛に問いかけた。

「……はぁ、しょうが無いわね。いいわよ、忍」

 小さく溜息をつきながらも、その真剣な瞳に負けたと言うように凛が了承する。
 そして、幻想を紡ぐ詠唱が――

「――幻想開始(トレースオン)!」

 具現化したものは、おじいさんに見せてもらった写真の中で、ミノルという男の子が着ていた服だった。
 シノブは着ていた服から着替えると、ずっと身に着けていた変身ベルトを腰に巻き、

「……僕の髪は赤くて、稔くんみたいじゃないけれど……」

 俯きながら、凛に話しかける。
 シノブ、貴方は……

「大丈夫よ、忍。あなたの気持ちはきっとおじいさんに届くから……行ってらっしゃい」

「うん」

 凛に優しく諭されたシノブを先頭に、私達は医師の許可を得て、処置室へと入った。
 私達が発見した現場から、この病院に運ばれた現在まで、おじいさんは一度も意識を回復していないということですが……
 処置台の上に横たえられたおじいさんへと近づいたシノブが、決意したようにその顔を上げる。
 そして……

「じいちゃんっ! 稔だよっ! じいちゃんっ!! ねぇ、起きてよ、じいちゃんっ!!」

 必死に呼びかけたその声が、

「……み、稔か? 稔なのかい?」

 凛の言うとおり、きっと、おじいさんの一番大切な場所へと届いたのでしょう。
 周りの医師達は、その光景に驚愕の表情を零していた。

「うん、じいちゃん、お誕生日のプレゼントありがとうっ! ほら、すっごくかっこいいでしょ!」

 シノブの呼びかけに、僅かに開いたおじいさんの目に映るようにと、腰にまいた変身ベルトを嬉しそうに自慢しする。

「……ああ、かっこいいなぁ……稔がよろこんでくれて……嬉しいよ……」

「じいちゃんが買ってくれたベルトだからね! ほら、このボタンを押すと風車がまわるんだよっ!!」

 恐らく、思わず口にしてしまったのでしょう……シノブは電池切れで動かない筈の、風車を動かすボタンを押し下げた。

「「「ッ?!!」」」

 それは、想いの力が起こさせた奇蹟だったのでしょうか。
 回らない筈の風車は、綺麗な光を発しながら、勢い良く回ったのです。

「ああ……すごいなぁ……稔がそんなに喜んでくれて……わしは、幸せじゃよ……」

 そして、風車の回転が止まるとともに、おじいさんは笑顔で息をひきとりました。

「……ご臨終です」

 そう医師の声が処置室に響いたとたん、シノブが凛にしがみつき、号泣しました。
 決して、自分の事では涙を見せないシノブが、天まで届けと言わんばかり、泣いたのです……

 ルヴィアゼリッタが医師との相談を終え、教会のディーロ神父への連絡を凛が終えた後、私達は帰路につきました。
 途中、通りすがったあの公園には、警察の検証が終わったのか、立ち入り禁止の柵が目につきました。
 その柵の横で、おじいさんを待っているかのように、子犬が座っていました。
 私達に、”少し待って”と言うと、シノブは子犬に近づいていき、その小さな体を抱きしめ、

「ごめんね、おじいさんの事助けられなくて。ごめんね、ごめんね……」

 と何度も謝りました。
 きっと、そこが私達の我慢の限界点だったのでしょう。

 当代最高峰の魔術師(メイガス)二人の纏う魔力が、可視化するほど濃いものへと一瞬で変貌し、猛り狂うほどの殺気を放ちだした。

「アルトリア、忍を連れて先にうちへ戻っててちょうだい。あの子犬もつれてっていいから」

「直ぐに終わらせて帰りますわ。それまでの間、シノブを頼みましたわよ」

 新都の方向を睨みつけながら、凛とルヴィアゼリッタがその腕の魔術刻印を煌々と輝かせている。

「解りました、私の分の想いも貴女達に、託すとしましょう」

「ええ、任されたわ。忍をこれだけ泣かせた奴らには、生まれて来た事を後悔させてやるわよ」

「そうですわね、いっそ死んだほうがマシだったと思うほどの地獄を与えて差し上げますわ」

 そう言って二人の魔女は夜の街へと消えていった。







 シノブと共に私は遠坂邸へと戻ってきた。
 連れてきた子犬を抱いたまま、リビングのソファーに丸まったシノブが、

「僕は、何も出来なかったのかな……アルトリア?」

 涙をかみ殺して訊ねてくる。
 私は、その横にそっと腰をおろし、頭を撫でながら、語りかけた。

「決してそんな事はありませんよ、シノブ。思い出してみてください、私達が一緒に遊んだ公園でのことを。あの時、おじいさんは、本当に楽しそうでした。そして、別れ際に"素敵な想い出をありがとう"と言っていましたね。あなたがおじいさんにプレゼントした、何物にも代えがたい想い出に、おじいさんは感謝していたのですよ。それは、きっとあのおじいさんの心を救ったのです。そして、最後の最後、例え幻影とは言え、おじいさんは孫の喜ぶ姿を見ながら安らかな心で旅立っていったのです。それは、シノブ、貴方にしか出来ないことだったのですよ。ですから、貴方が自分の成した事に胸を張らなければ、あのおじいさんに失礼になるのですよ。今はまだ、悲しくて難しいと思いますが……シノブ、貴方は自分の行いに胸を張らなければいけないのですよ」

 私の言葉を聞きながら、泣き寝入りしてしまったシノブの髪を優しく梳いていると、凛とルヴィアゼリッタが戻ってきた。

「……早かったのですね?」

「当然よ、私はこの冬木の管理者(セカンド・オーナー)なのよ」

「それに、シノブの事が心配でしたのよ」

 先程の凄絶な表情は綺麗に仕舞い込み、普段の表情へと戻った魔女二人。
 こういうところは流石ですね……

「まあ、忍に言ってやりたいことは、アルトリアが抜けがけして全部言っちゃったけどねぇ」

「なっ?!」

 抜けがけとは何ですか、抜けがけとは!

「大丈夫でしょうか? シノブがあれ程泣いたのは、初めて見ましたわ……」

 そうですね……

「大丈夫よ! この子はわたしと士郎の子なのよ? これくらいの事、きちんと乗り越えるわよ!」

「はい、シノブはシロウの子なのです。ならば必ず乗り越えてくれると私は信じています」

「そうですわね、リンはともかくシェロの血が流れているのですから、シノブが負けるわけなどございませんわね」

「……あんたらねぇ……まあ、良いけど。そのかわり、忍の心のアフターケアーに付き合ってもらうからねっ!」

「リンに言われるまでもございませんわ」

「はい、わたしに可能な全力をもってあたりましょう」

 一日も早く、シノブの元気な笑顔をみたいですからね。
 あなたのその心も、私が守り続けますよ、シノブ。







 ええ、確かに、シノブの心のアフターケアーに付き合うとは言いましたが、これは如何なものでしょう……

「いくぞっ! 怪人金ピカドリル!」

 あの日以来、連日ライダーごっこが続いていて、シノブは徐々に元気を取り戻してきたのですが……

「お待ちなさい、シノブ。わたくしは、そのような品のない名前ではございませんわ!」

「あれ? だってお母さんが……」

「リン! どこに隠れたのですっ!!」

 まあ、良いのですが……一体いつまで続くのでしょうか? この不毛な戦いは……



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