Fate / in the world
031 「この美しい星で」 単編
「よいっしょっと……ふぅ、なんとか少しは片付いたわね。忍? そっちは、どう?」
「僕のほうは終わったよ、お母さん」
「あら、早いわねぇ。うん、偉い偉い」
「お母さん、ちょっとお外を見てきてもいい?」
「良いわよ、あ、でもあまり遠くに行っちゃダメよ。それと、車には気をつけなさい」
「はい、それじゃ行ってきま〜す!」
うん、相変わらず元気ね、あの子は。
気の早い桜が咲き始めた坂道へ元気よく駆け出して行ったのがわが息子、遠坂忍、御歳五歳。
そっか……あの子も五歳になったのね。
わたしも歳を取るわけよ、うん。
でもまあ、年齢の一桁目を四捨五入するような愚か者には死ヲ!
あ、いやいや……そんな事はともかく……
あれから……士郎がわたしと忍の元を旅立ってから、もう五年も経ったって事か……
昨日、六年間暮らしたリヒテンシュタイン公国から、ようやく復興の始まったこの冬木へと帰ってきたわたしと忍は、朝から荷物整理に追われている。
忍にとっては初めての国、初めての町、初めての家が物珍しいらしく、楽しそうにはしゃいでいるけど。
リヒテンシュタインでの生活には何の不満も無かったけれど、やっぱり自分の子供は故郷で育てたかった。
そんなわたしのわがままを、オリヴィアも快く承諾してくれた。
額に浮かんだ汗を拭いながら、引越しの荷物整理の手を休め、リビングの窓を開け放つと気持ちの良い風が入り込んできた。
「少し、休憩にしようかな」
一人そう呟きながら、先ほど引っ越し荷物の中から発掘したケトルとティーセットを用意し、紅茶を淹れる。
結局、わたしよりも上手に淹れるようになった士郎の紅茶の味が懐かしい。
そう思いながら、ふと気づいた。
ようやく、涙する事無く士郎の思い出を思い返すことが出来る様になったのかな……
ティーカップを片手にリビングのソファーへと腰掛け、テーブルの上に置かれた一束の封筒へと視線を落とす。
――久しぶりに読んでみようかな
そう思いたち、分厚い封筒の束を手に取る。
士郎が旅立ってから、三年に渡りわたしへと送り続けられた
最後の手紙が届けられてからこの二年間、一度も読み切る事が出来なかった。
その一通目の封筒から、数枚に綴られた便箋を取り出す。
『愛する凛へ』
全ての手紙に共通する書き出しの一文は、そんな言葉から始められていた……
Fate / in the world
【この美しい星で 単編】 -- 紅い魔女の物語 --
///// Letter Part /////
愛する凛へ
俺は今、中東のサウジへ来ている。
この国は、本当に死に満ちているんだ。
長年に渡って、大国との争いを続けてきたこの国は、政府もここに暮らす人々も疲弊しきっている。
それでも男たちはジハードを口にして戦いをやめようとしない。
片や大国も終わりのないテロに焦れたのか、一般市民まで巻き込んだ無差別攻撃を始めている。
昨日は何の武器も持たない女性と年寄りと子供しかいない三十人程の集落に、ミサイルが打ち込まれた。
急いで駆けつけた時には……必死に母親が庇ったのだろう……その体の下で、小さな子供がたった一人生き残っていた。
凛、俺はなんて無力なんだろう……
この戦いを止める事も、逃げ惑う人達を救う事も出来ない。
俺に出来たのは、生き残った子供を避難所へと連れて行く事だけだった。
でも……
救えなかった命を数えたりはしない。
たった一人だろうと、救えた小さな命の尊さを誇りにがんばるつもりだ。
そう言えば、忍は元気にしているかな?
そちらはそろそろ朝晩が冷え込む季節だから、風邪を引かないように気をつけてやって欲しい。
それから、俺が旅立つとき、忍のベビーベッドの下に"
父親として何もしてやる事が出来ない俺には、そんな物しか残せない。
忍の今後の事と共に、俺が残した宝具の扱いも凛に一任するよ。
後、出来ればなんだけど、忍は"衛宮"ではなく、"遠坂"を名乗らせて欲しい。
今の世の中で"衛宮"を名乗ることは、あまりにも危険だからさ。
ああ、凛に会いたいな。
君の艶やかな黒髪が大好きだった。
そろそろ、山の向こうに日が沈む。
今夜も君を想いながら眠りにつくよ。
士郎
///// Letter Part End /////
便箋から視線を上げ、ティーカップに口をつけて一口紅茶を含む。
結局、この後三ヶ月ほど中東の集落や難民避難所から、数通の手紙が送られてきた。
その内容はどれも、戦火に追われた子供やお年寄りを助けているというものだった。
この頃だったかしら。
士郎が旅立った直後、腑抜けのようになっていたわたしをルヴィアが叱り飛ばしたのは。
『リン、貴女のシェロへの愛は、たかが数万キロの距離に負ける程度のものだったのですかっ! 夫が戦場を駆けている今、妻たる貴女がすべき事をもう一度考えなさいっ!!』
あれは……正直、堪えたわね……
その直後にルヴィアとオリヴィアが協力して、表向き平和活動を目的とした財団、"アーサー財団"を設立したのよね。
もっとも、内実は士郎の活動をバックアップするものなんだけど。
でも、彼女たちの想いや活動に勇気付けられたのは事実で、わたしもようやく自分を取り戻したんだっけ。
ただねぇ……手紙にもあったけど、なんて物を残していったのよ、あの馬鹿はっ!
大体、"
どうせ死ぬ思いで無茶したんでしょうけど……
それにしたってあんな物、絶対誰にも見せられないじゃない!
今回の引越しだって、オリヴィアが何とか手配してくれたから、冬木に持ってこれたけど……
この屋敷の地下工房へと封印した、三振りの剣と一本の鞘の事を思い返す。
実を言えば、わたしは忍に魔術を教えていない。
そして、この先も教えるつもりもない。
だから、せっかく士郎が残した物だけど……わたしは忍にそれを見せていない。
そして……魔術師としての"遠坂"は、わたしの代で終わりよ。
そのほうが、何よりあの子の幸せに繋がると思ったし、それに……魔術師の家に生まれた者の運命に翻弄された桜に対して、わたしなりのケジメのつけ方だ。
わたしは桜の死には決して同情しない。
ただ、抗いようのなかった運命に対しては、義憤を感じずにはいられない。
そう、これは桜の姉としてではなく、遠坂凛としての心の贅肉だ。
ふぅ……と一つ大きなため息をつきつつ、次の封筒を手に取る。
///// Letter Part /////
愛する凛へ
俺は今、西アフリカのシエラにいる。
中東での俺の動きが聖堂教会に漏れたらしく、代行者を引き連れた奴等が現れたので、活動の拠点をこちらに移した。
凛、世界中が動乱へと突き進むこんな世の中においても、この国の有様は異常だ。
ここでは、一欠片のパンより人の命は安い。
元々、世界最貧国だったこの国は、アフリカでの戦火の拡大により、人が生きていける限界を超えてしまっている。
たった一欠片のパンを手に入れるために、自らの子供を売る親達が後を絶たない。
そして……最悪な事にその買い手というのが、ベル・ファーマシーと完全に手を組んだアトラス院だ。
西欧の各国やコングロマリットと利害関係の一致から手を組んだ時計塔が優勢に立った事で、追い詰められたアトラス院は彷徨海と手を結び、直後にベル・ファーマシーとも手を結んだようだ。
今、アトラス院はアフリカ各国をその影響下に治めようと躍起になっている。
昨日、アトラスに買われた子供たちの収容施設を強襲した。
施設の中には、劣悪な環境で五百人ほどの子供たちが監禁されていた。
でも……ほぼ半数の子供たちは、例の死徒化の薬を投与されていて……手遅れだった。
それでも、なんとか半数の子供たちを解放できたんだ。
その事で、ルヴィアさんやオリヴィアさんにお礼を伝えて欲しい。
俺の要請に応えてくれたらしく、子供を売った親たちに、今後そんな事をしなくても生けていけるよう、色々な支援を開始してくれた。
無力な俺だけど、こうして理解し支えてくれる人達がいるって事は、本当に勇気付けられる。
そして、どんな時でも俺の心には君がいるよ。
どんなに苦しい状況でも、君が俺の心に居てくれるおかげで、俺は頑張れるんだ。
それと、最近時々アルトリアの夢を見るようになった。
変わらない澄んだ声で呼び掛けてくるんだ。
”シロウ、お腹が減りました”ってさ。
君にも、見せてあげたいよ。
あの俺たち三人で過ごした日々が本当に懐かしい。
忍は元気にしているのかな?
初めての冬はどう過ごしているのだろう?
クリスマスプレゼントさえ贈ってあげられない父親だけど、許してくれるかな?
ああ、夕日が地平線へと沈んでいく。
君と忍を想いながら、俺はこれからも頑張るよ。
士郎
///// Letter Part End /////
その後も、同じように世界各国の被災地から送られてきた十数通の手紙を読み終え、封筒をテーブルへと置きながら、視線を窓の外へとやる。
士郎は、アフリカや中近東、東南アジアや南米など、国を問わず、戦いの表裏を問わず、その被害にあった人々を救い続けたのだ。
まさに、その命が尽きるまで。
結局のところ、現在も続く大戦は世界を三大勢力に分け、争い続けている。
国家の利権、企業の利権、裏世界の利権が複雑に絡み合った争いは、一個人が足掻いた所で止まるような物ではない。
ルヴィアが調べたところ、六年前の冬木の事件と同時期に、時計塔、アトラス院、彷徨海、聖堂協会のそれぞれ実質的なトップへ宛てた、メッセージが送られたらしい。
メッセージの差出人は、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
その内容までは確認出来なかったらしいが、当時のパワーバランスを崩す引き金となるようなものだったのではないかという事だった。
今、世界中を見渡しても、戦渦の少ないのは東アジアと東欧諸国だけという状況だ。
けれど……士郎がやった事は、決して無駄なんかじゃない。
あいつは少ないながらも、確実に人の命を救ったのだから。
それは、世界の各地で未だにエミヤ・シロウと言う名を英雄視する人々が居る事でもわかる。
まあ、士郎は英雄なんかになりたかったわけじゃないんでしょうけどね……
再びテーブルへと視線を落とすが、そこにはもう未読の封筒は無い。
最後の手紙は、封書ではなく、電子メールで送られてきたから……
きっと、上手く字を書くことが出来なくなっていたのね……
わたしはスカートのポケットから携帯を取り出し、この二年間開くことの無かった士郎からの最後の
///// Letter Part /////
愛する凛へ
君からのメールを見たよ。
忍がオリヴィアさんに言った言葉……信じられない思いだ。
俺の意志を継いでくれる者が現われてくれるなんて。
これで、ようやく俺は安心して逝ける。
もしも、この世に神様がいるのなら、これだけは感謝したい。
凛、今俺はアフリカのサバンナに居るんだ。
さっきアトラスが使おうとしていた、大量殺戮兵器を奴等ごと根こそぎにしてきた。
使えば、数千万人を死に追いやるようなものを、敵対勢力の主要都市で使おうとしていた。
阻止できて本当に良かった。
その直後にあのくそ爺が出てきやがったけど、追い返してやったぞ。
俺、頑張ったんだけどさ、ちょっと無茶し過ぎたのかな……
もう、意識がはっきりしないんだ……
そろそろ夜が明ける。
群青色の空が朝焼けの赤と相まって、本当に綺麗だ。
凛、この星はこんなにも綺麗だったよ。
こんなに綺麗な星に生まれて、君に出会い、君を愛して、君に愛された。
そんな衛宮士郎って奴を、俺は最高に気に入ってるんだ。
だから、約束守ったぞ?
結婚式の時、約束したろ?
自分を好きになるってさ。
思えば、無力だった俺でも幾らかの人達を救えた。
そして、何よりも、君と忍を守れた。
そんな俺の人生は、捨てたもんじゃないなって、本当にそう思えるんだ。
だから……ありがとう、凛。
君を愛して、君に愛されて、俺は最後まで幸せだった……
士郎
///// Letter Part End /////
――ポタ、ポタ
透明な雫が、頬をつたって流れ落ちる。
嗚咽が堰を切ったように止まらない。
何が、"涙する事無く思い返せるようになった"よ……
こんなにも、涙が溢れて止まらないじゃない……
士郎のばか……
最後までわたしを泣かせたわね。
溢れる涙をハンカチで拭いながら、胸元のアクセサリーを弄る。
それは、結婚式の時に士郎と交換した、ミニチュアの干将と……
最後のメールが届いたその日の夜に、大陸を越えてわたしの元へと飛んできた、士郎が持っていたはずのミニチュア莫耶。
ねえ、士郎?
わたしだって、あなたと知り合って、あなたを愛して、あなたに愛されて。
ずっとずっと幸せだったわよ。
それは、あなたが居なくなった今でもそう。
寂しいけれど、あなたの想いはいつまでも消えないし、わたしには忍もいる。
こんな荒んだ世の中だけど、忍だけは幸せにして見せるわ。
だから、ねぇ、士郎。
わたしがそっちに行くまで待っててね。
ネックレスを握り締めながらそう思っていると、
「お母さん、ただいま〜」
と、元気な声が聞こえてきた。
そうね、士郎に会いに行く前に、この子を一人前の男にしてやらないとね。
「おかえり、忍」
わたしがそう答えると、不思議そうな顔をしながらトテトテとこちらへ近づいてくる。
「お母さん、どうして泣いてるの?」
「えっ?!」
あちゃ、流石に目が真赤よね……
「ううん、何でもないわ」
「うぅ、お母さんの事は、僕が護るんだから! 何かあったら僕に言ってね? お母さん」
士郎譲りの赤い髪、瞳の色はわたしの色だけど、顔立ちにも色濃く士郎の面影を残すこの子がこんな事を言ってくれる。
「ッ?! うん、わかったわ、忍」
そう言いながら、わたしの小さな正義の味方をぎゅっと抱きしめた。
ねぇ士郎?
あなたも見守っていてね、わたし達の事を。
わたしとあなたの子供の、未来を……
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